学び聞き取り コリント第一 十

2021-03-02 | 23:45

アダムの助け手となるためにエバが創造され、アダムとエバが結婚して
2人は一体となると言われました、ここに聖書の積極的な意味の結婚があります
英語では妻をベターハーフと言いますね、より良い半分です
自分よりはましな片割れ半分ですという意味です
半分と半分が合わさってようやく一人前という発想です
しかも相手の方が、自分よりましですと言っているのですね
創世記から最初の結婚について見て来ましたがパウロ自身も結婚について
深い意味を手紙で記している箇所があります
エペソ書 5-22~33
結婚とはキリストと教会を指して言っている、この奥義は偉大だと記しています
キリストと教会との関係が夫と妻の関係だと言うのです
ですから私たちは主に従うという事を知らないと
妻が夫に従う意味は理解出来ないのではないでしょうか
逆にキリストがどれほど教会を愛されたのかが理解出来ないなら
夫はどのように妻を愛すべきかを理解出来ないのですね
ですから私たちは自分たち夫婦の関係を考える時に
いつもキリストと教会の関係を思い浮かべる必要がありますね
夫婦間で色々な問題が起こる時に私たちは相手の足りない所を見つけますが
夫であればまず果たしてキリストが教会を愛したように
キリストが私たちを愛し、私たちのために命を捨てて下さった
それほどまでに妻の事を愛しているのかと考えなければならないのですね
逆に妻はイエス様が父なる神に従ったように自分は夫に従っているのか
相手を責めるのではなく自分が聖書の言う通りに歩んでいるのかと
いつも顧みる必要があるのではないか
これが私たちの毎日の生活の中で自分たちの信仰が試みられるのです
7-3,4
夫は妻に対して又妻は夫に対して義務を負っている、あるいは権利を持っている
夫婦生活は汚れたものであるどころか
むしろ主に祝福されたもの、喜ばしい事だと捉えるべきですね
7-5,6
ここでのパウロの言い方はどちらかというと消極的ですね
結婚しても罪ではないけれども結婚しなさいと命令はしていないという事ですね

学び聞き取り コリント第一 十

2021-02-28 | 23:45

コリント第一 7-1~24
パウロとコリントの信者の手紙から質問に答える形で7章が始まります
7章の前半は、結婚、離婚、再婚について書かれています
聖書における結婚、離婚、再婚を考えてみたいと思います
前回の6章の後半で不品行の罪を取り上げましたが
6-15
私たちの体はキリストの体の一部である事、もし私たちが遊女と交わるなら
遊女と一つ体になってしまう、これは主の前には大きな罪です
ですから私たちは自分の体を管理する事が大切になってきます
体の行いが私たちの内面にも影響を及ぼすのです
私たちはもうすでにキリストの体の一部とされている
私たちはキリストから離れている存在ではなくキリストと一つとされています
その事を考えて自らの欲望を制御しなさいとパウロは言っています
そのような話しの流れの中で今回の7章が始まるのですが
コリントの兄弟姉妹の中には大変に禁欲的な人たちがいたようです
その人たちは結婚生活における夫婦間の交わりも汚れていると考えたようです
7-2
ここでパウロは結婚と不品行を結び付けて語っています
不品行を避けるために結婚をしなさいと言っています
これは結婚の消極的な側面と言えるのではないでしょうか
7-7~9
パウロの言い方は独身でいられるのであればその方が望ましいけれど
もし肉の欲望を自制出来ないなら結婚しなさいと言います
聖書全体を見ますと結婚の理由はもう少し積極的にとらえていると思います
確かにパウロの言っている面もありますが
もっと積極的に結婚の意味を捕らえていますね
創世記1-27
神の形に想像された人がこの地上に増え広がる事が主の御心です
創世記2-20
ここにふさわしい助け手という言葉がありますが
ふさわしいと助け手はへブル語では同じ語源になるそうです
守る、助けるという動詞、助け手、救助という名詞
このような語源を持つ言葉です
ふさわしい助け手をアダムに備えた、これが神の御心ですね


学び聞き取り コリント第一 九

2021-02-27 | 23:45

そして今、神のものとなったこの体には尊い聖霊が宿っているのです
それゆえ私たちは自分の好きな事を行うのではなく神の栄光となる事、
神が喜んで下さる事をするべきだと結論づけている事が分かります
私たちはもはや自分自身のものではなく、神のものです
私たちの内に聖霊が住んで下さっている、そして私たちはキリストの一部ですから
私たちと主との交わりを妨げるものは一切排除すべきである
このような意識を持って私達は自分自身を管理しなければならない
この事をこの箇所は言っているのだと思います。
一体どうしたら私たちは目標に到達する事が出来るのでしょうか
何が益となるのか、どうしたら本当の意味で自由になれるのか
何をすれば主が喜んで下さるのか
どうすれば主に似た者と成長していく事が出来るのか
そしてどうすれば主の栄光を現す事が出来るのか
これがキリスト者のこの世での判断基準となるのだと思います
これをしたら罪なのか、これはセーフじゃないのかというのは残念な考え
そうではなく、積極的にどうすれば私たちは主の栄光を現す事が出来るのか
その事を考えてこの地上を歩みなさいと6章は言っているのだと思います

学び聞き取り コリント第一 九

2021-02-25 | 23:45

聖書において結婚するという事は一心同体になるという事
一つの心、一つの体になるという事です
ですから15節のように遊女との肉体的交わりは私たちの内面の
霊、魂にも影響を与えるという事です
私たちの体が行う事は私たちの魂や霊にも影響を与えるのですね
6-16、17
しかし、主と交われば一つ霊となるのです
私たちは今新しくされた霊によって主の霊と交わる事が出来るようになりました
その霊的交わりによって私たち人間の霊と神との霊が一つの霊となります
切り離す事が出来ない霊となるのだと言う意味ですね
6-18
不品行は自分の体に対して罪を犯す、例えば物を盗むのは体の外の罪です
しかし、不品行の罪は自分の体に対する罪となるのだと言われています
6-19
知らないのですかと6回目の言葉ですね、あなたがたの体には
あなたがたの内に住まれる神から受けた聖霊の宮であり
あなたがたはもう自分自身のもではない事を知らないのですかと言われます
6-20
この世の基準では人に迷惑をかけさえしなければ何をしても良いと言いますが
イエス様の救いを受け入れた者はそういう基準ではありません
自分の体はもはや自分自身のものではなくなったのですから
神がキリストの命という代価を支払って私たちを買い取って下さった
私たちを死と罪から救うために支払われた代価というのは
イエス様の命だと言う事ですね
その高価な代価を払って私たちは買い取られたゆえに
私たちは今神のものであるキリストののものなのです
ですから私たちは自分の体を自分のものだと言う事が出来ないのですね

学び聞き取り コリント第一 九

2021-02-23 | 23:45

6-14
イエス様が蘇られたようにイエス様を信じる私たちもやがて蘇りの体を持ちます
これは将来の事ですが、もう既に新しい命は私たちの内に始まっているのですね
へブル書 9-13,14
イエス様の血は私たちの肉体を清める力があるという事です
私たちの良心を清めて死んだ行いから離れさせる
そして生ける神に仕える事が出来るようになると書かれてあります
蘇りの力、これは既に私たちの内に働いているのです
私たちの体は主との関係において非常に大切なものであるという事です
ある人は私たちの魂や霊だけが大事であって体はそれほどではないと
考える人がいるかも知れません
例えば、神仏の前で手を合わせても心の中では偶像を拝んではいないのだから
構わないだろうと考える人もいます
しかし、体において行っている事は実は神との霊的な関係に影響があるのです
私たちの体は主のものであって体にあって行う事は
私たちと主との関係に影響を与えるという事を知らなければなりません
6-15
ここでも知らないですか、と質問形式での記述が出て来ます
あなたがたの体はキリストの体の一部である事を知らないのですか
あなたがたは当然その事を知らなければならないという意味ですね
キリストの体を取って遊女の体とするのですか
そんな事は絶対に許されませんと書かれてありますね
私たちはキリストから離れて存在する者ではなくて
まさにキリストと一つにされている、キリストの体の一部なのです
キリストと結びつけられた花嫁のような存在であって
切っても切り離す事の出来ない深い結びつきの中にいるのですね