学び聞き取り コリント第一 Ⅴ
私たちが自分自身を振り返って、自分は肉に属しているのではないだろうか
あるいは魂の人の状態に留まっているのではないかと
そのように気付いたとすれば、それは素晴らしい事ではないでしょうか。
ローマ書 12-1~2
霊的な礼拝とは一体何でしょう。それは私たちの体を神に受け入れられる
清い生きた供え物として捧げるという事ではないでしょうか
パウロは別の箇所で、私はキリストと共に十字架に付けられたと言っています
私たちの体はもう既にキリストと共に十字架に付けられた
ですから私たちは新しくされた霊によって
新しい命によって神の力によって生きて行く事を求められているのです
この世と調子を合わるな、外側の刺激を求めるなという事です
そうではなくて、心の一新によって自分を変えなさい
内側から清められることを求めなさいとパウロは言っているのです
ローマ書 12-3~21は
私たちが自分を吟味するための大切な御言葉が書かれています
自分が霊によって歩んでいるのか、魂によってなのか
それを峻別するために具体的な基準となる事が書かれています
私たちがキリストの器官として必要な働きをしているのか
勤勉に主に仕えているのか、祈りを疎かにしていないか
心を一つにして歩んでいるのかどうか、
そういう事がローマ書12-3以下に書かれていますが
もし、このような御言葉に照らして私たちがそうではないなら
私たちは自分の魂に添えて知性、感情によって歩んでいると
言えるのではないでしょうか
ヨハネ第一、1-5  
ローマ書12章に照らして自分の中に罪があると気付いた時には
それを正直に主に告白する必要があるという事です
私たちが肉の人、魂の人として歩いていたのだと
正直に告白するなら主は私たちを正しい方向へ導いて下さる
霊の人として歩むように私たちを内側から清めて下さる
この事を聖書は教えてくれているのだと思います。

【2020/09/24 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅴ
私たちは新しくされた霊を用いて神の御言葉に耳を傾ける、祈る者です
肉の働きを放置している結果として、分裂分派が起きてしまう
その事を主はとても悲しまれるでしょう
3-6  人間に出来る事は限定されています
種を蒔く、水を注ぐ、神のしもべとしてそれが出来るし、求められています
しかし成長させるのは神であるという事です
そして次回で学びますが、私たちは神の畑であるという事
神によって耕された地でありその中でキリストの命を成長させていくべきです
コリントの信者たちは植える人、見ずを注ぐ人を高く評価しました
本当の意味で成長させて下さるお方を無視してしまいました
結果的に彼らは真の命であるキリストの中での成長がなかたのです
いつまでも乳飲み子状態でした
コリントの信者はギリシャ哲学の中で知識に重きを置いて
大事なイエスの真の命については無知ですから
パウロは彼らの意識を知識から命へと転換させる必要がありました
これは魂の問題から霊の問題へ彼らの目を向ける事を意味していました
そしてこの事は私たちにも求められているのです
私たちは聖書の様々な知識を蓄えて人間の知恵によって
信仰を支えようとする傾向があると思います
大事なのはそうではなく、私たちが新しくされた霊によって
真の神である主と日々交わる事をしていかなければ
私たちの信仰は支えられないものなのです
魂によってではなく霊によって歩いて行かなければ
道を誤ってしまう、私たちがどんなに自分の知識を蓄え
聖書に付いて精通したとしても本当の意味でも成長はないのです
【2020/09/03 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅴ
肉の特徴については、ガラテヤ書5-19から21までに記されていますが
自分にとって何が心地良いのか、自分の肉にとって何が心地良いのか
これを私たちは本能的に知っています
それを追い求める性質を持っている事も知っています
コリントの信者たちは福音に接して神のすべての賜物を受けたと
1-7に記されていて、パウロはそれをこのように言いました
そのすべての賜物を受けたのにも関わらずイエス様の命において
成長する事がなかったのだと言います
これがコリントの信者の特徴でした
むしろキリストにある幼子のままであり彼らは非常に
肉的であったと指摘しています
3-2、固い食物を与えなかった、何故なら彼らはまだ歯が生えそろっていない
成長していなかったと言っています
乳を与えるというのは、その命を養うという事です
人を養う事とその人を正しく教えるという事は違います
生まれた赤ちゃんには母乳を与えて命を養います
歯が生え揃い出して初めて言葉を覚え教えられます
彼らの状態がどのようなものであったかは
3-3~5に書かれてありますが党派心、分裂、分派、は肉の特徴です
自分があるグループに属しているというのは
実は私たちの肉にとっては心地良いものでしょう
安心感を持つ事が出来ます、結果として教会の中に分裂、分派が
起こってしまう事になります
そこに属する事に安心してしまう、これは肉の働きです
しかし、本当に大切な事は私たちの神から回復させて頂いた霊を
用いて神と交わる事です
必要な事はわずかです、いいえ一つだけですとイエス様は言われました。
【2020/09/02 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2-15

御霊を受けている人、すなわち霊の人とは自分の魂を否み

魂によっては生きず神の霊によって再生された霊によって

自分の存在を支配させている人の事を指すのです

神によって新しくされた霊に自分の全存在を支配させる

以前は魂が自分を支配していたけれどこれからは

新しくされた霊に自分を支配させる

これを霊の人と呼ぶのです

私たちはこのように新しくされた霊によって判断できるようになりました

2-16

私たちはイエス様の命だけではなくイエス様の思いも

共有しているという事をこの箇所は言っています

霊的に新しくされた私たちは今イエス様と

有機的に一つとされたという事ですから

イエス様の持っている機能を私たちは共有している訳です

なので、私たちはイエス様の思い、イエス様のこころをも

共有している事になります

これはイエス様が何を考え何を知りこれから何をなそうとされているのか

その事を私たちは知る事が出来るという事です

これは何という素晴らしい事実でしょうか

3-1~

ここからは肉の人について書かれています

これはコリントにいる兄弟姉妹に対する警告であると同時に

私たちに対する警告でもあります

ここでも御霊に属する人を霊の人と言いますが、

肉に属する人を肉の人と言う言い方をしています

霊の人が神の霊と一体となり新しくされた霊によって支配され

管理され方向づけられ導かれるのであるのに対して

肉の人は肉の欲望によって導かれる欲望によって支配され

管理され方向づけられる人だと言って良いでしょう

主の方法は私たちを内側から清めるというのですが

神の働きは霊によって体を清めようとするのです

一方、悪魔の働きは常に外側から来るものです

私たちの目に麗しいもの、これが私たちの躓きの原因となります

私たちはいつも外側からの刺激を求めるのですが

自分たちにとって心地良いものを求める

これが外側から私たちを誘う、これが悪魔の方法だと言っています

【2020/09/01 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

魂の人、すなわち、知性や感情に自分自身を支配させる人

魂を大切にして生きる人、そういう生まれながらの人を魂の人だと

ここでは言っているのだと思います

そういう人は自分の霊を無視して霊を用いる事をせずに

あたかも生きた霊を蘇った霊を持たないようでさえあると

パウロは警告しています

ウォッチマン・ニー兄弟の「霊の人」の最初の所に

人間の堕落について書かれてあります

「善悪の知識の実は人間の魂を高揚させ霊を抑圧します

神は単に人間をテストするためにこの実を食べる事を禁じたのではなく

神がそれを禁じるのはこの実を食べる事によって

人間の魂の命が刺激されて霊の命が失速させられる事を

知っておられるからなのです

この事は人間が神についての真の知識を失い、

そうして神に対して死ぬという意味しています

この禁令は神の愛を示しているのです

この世における善悪の知識はそれ自身が悪です

このような知識は人間の魂の知性から発生します

それは魂の命を膨張させ結果的に神の知識を失わせて

死に至る点で霊の命を収縮させてしまうのです

魂を高揚させる結果霊を抑圧させてしまう、

善悪の知識の実を食べるというのは

人間の魂の命が刺激されて霊の命が失速させれてしまう事です

と、ニー兄弟は言われています

勿論神に対する不従順の結果、私たちの霊は

神との交わりを断たれた断たれた訳ですが

それは同時に私たち人間の魂の働きが私たちの中で

極限に至るまで膨張していく状態だと記しているのです

2-14

ここの最後の御霊によってわきまえるという箇所は

原文では霊によってわきまえると記されています

霊によって、これは新しくされた私たちの霊によってと

解するのが妥当なのではないでしょうか

14節を忠実に訳した聖書があるのですが

「しかし、魂の人は神の霊の事柄を受け入れません、

なぜなら、彼にとってそれは愚かであるからです、

又、彼はそれを知る事が出来ません。

それは霊によって識別されるものだからです。」

とありますから、おそらく神によって新しくされた私たちの霊によって

神の事柄を識別するという意味ではないでしょうか

私たちが新しく生まれるというのは

私たちの霊が神との交わりを回復した状態になるという事です

そして神との交わりを回復した霊は神の霊の事柄を受け入れ

それを知る事が出来るようになるという事です

それまでは魂が私たちを支配していましたが

新しく生まれた人は魂に代わって新しくされた霊によって

生きる事が可能になると聖書は言っているのです



【2020/08/31 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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