学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

人間の知恵に支えられるとは魂によって支えられるという事

もし私たちが魂の活動を許すと霊の働く余地を失う事となる

ピりピ書、3-4~11

パウロは様々な人間的は素晴らしいものを自分にとっては

損だと思うようになったと言うのは理解が出来るのではないでしょうか

私はキリストの復活に達したい、これは新しい命によって

生きるものとなりたいという意味です

人間的には素晴らしいものを沢山持っていたパウロですが

それがもし、霊の領域を侵害するなら

人間的素晴らしさは損となってしまうのだという見解です

魂の働きが霊を圧迫してしまう、例えばウオッチマン・ニーは

「魂の働きは霊を抑圧してしまう」と言っています

ですから人間的に素晴らしいものを沢山持っていたパウロが

もし魂の働きが霊を抑圧してしまうのなら

それが自分にとって損となるのだと言ったのですね

第一コリント 9-27

人間の知恵によって福音を宣べ伝える事も出来るけれども

その事が神の御心にかなう歩みをしているとは言えない

神の命によって新しくされた霊によって歩んでいるのか

あるいは魂の働きに重きを置いて自分の知恵によって

福音を宣べ伝えているのかは

待ったく異なる事なのだと2章の前半で述べています

【2020/08/04 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅳ

2-10

神が私たちのために備えて下さったのは何なのか

それを人間の知恵では理解出来ませんが、私たちの内にある

御霊がその事を私たちに明らかにして下さるとあります

御霊はすべての事を探り神の深みにまで及ばれる

神の事は御霊でしか知る事が出来ません

私たちの信仰が神の力に支えられるのは私たち自身が

神の権威に服する事であり更に御霊によって生きる事です

私たちはこのようにし成長した信仰者として

固い食物を食べていく事を意識していかなければなりません

へブル書 5ー

私たちは信仰生活の経験を通して良いものと悪いものとを

見分ける感覚を日々訓練していかなければなりません

いつまでも赤ちゃんのように乳だけ飲んでいては駄目だと

聖書ははっきりと言われていますね

隠された奥義としての神の知恵を私たちは

内なる御霊によって日々成長した大人として知る事を

求められているのです

又、成長した信仰者として歩む事も求められているのです

【2020/08/02 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅳ

マタイ 27-39~

印を要求したユダヤ人、あるいは知恵を求めた異邦人の結論です

「お前が本当に神なら自分で自分を救ってみろ」

これはある意味理屈の通った考え方ですね

しかし、ここに人間の知恵の限界があったという事です

が、私たちの神は人間の知恵の限界、人間の愚かさを通して

ご自分の計画を実現できるお方であるという事です

2-9

人間は目に見えるもの、耳に聞こえるもの、人間の心で想像できるものには

限界があるのですね

しかし、神の知恵を人間の限界をはるかに超えている

この2-9はイザヤ書の64-4 65-17からの引用であると書かれています

ですから私たちは本当に恐れを持って神を崇めなければなりません



【2020/08/01 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅳ

この知恵はこの世の知恵ではなく

この世の過ぎ去っていく支配者たちの知恵でもありせん

2-7

私たちの語るのは隠された奥義としての神の知恵であって

それは神が私たちの栄光のために

世界の始まる前からあらかじめ定められていたのです

勿論、へブル書はユダヤ人たちに向かって書かれた手紙ですから

コリント人への手紙とは性質を異としますが

御言葉の初歩とはどういうものかを具体的に考える

ヒントになるのではないかと思います

イエス・キリスト、しかも十字架に掛けられた方、

そこに焦点をしぼり最も大切なものとして

コリントにいる人たちに語らなければなりませんでした

しかし、成人の間では神の奥義としての知恵を

語るのだとパウロは言っています

2-7

隠された奥義としての神の知恵とは先日学んだものと同じです

キリストが私たちにとって神の知恵となって下さった

神の知恵とは私たちの義と清めと贖いになって下さったという事です

これが隠れた奥義としての神の知恵だと言ってもいいでしょう

2-8

1章に会った通りユダヤ人は印を要求しギリシャ人は知恵を追及します

しかし、私たちは十字架に付けられたイエスを宣べ伝えるのです

ユダヤ人にとっては躓き、異邦人にとっては愚かです

しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても

召された者にとってはキリストは神の力、神の知恵なのです

人間の知恵によってイエス様を判断した結果

人々はイエス様を十字架に掛けた訳です

イエス様の言葉、行い、これを人間の知恵によって

判断した結果がイエス様を殺すという結論になったのです

【2020/07/31 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
学び聞き取り コリント第一 Ⅳ

ですからパウロは十字架に掛けられた方以外は

何も知らない事に決心したと告白したのではないでしょうか

神について宣べ伝えながら神の権威に服しないなら

自分自身が失格者になるという危険があるのです

コリント第一 9-27

私たちが神の事を語りながら自分の素晴らしさを語るようなら

私たちは失格者になる危険があるという事です

神の力に支えられるというのは

私たちが自分自身を神の権威の元に置くという事です

私たちの信仰はそのように自分の知恵に支えられているのではなく

神の力に支えられていなければなりません

そうでなければ私たちは少しづつずれていってしまうでしょう

神の栄光を自分のものへと横取りしてしまうでしょう

私たちはそのような弱さを持っているのだという事を

自覚しなければならないのです

2-6

この6節は2節と対比させている事が分かります

2節ではあなたがの間では、とあります

すなわちコリントにいるあなたがたの間では

イエス・キリストしかも十字架に掛けられた方以外には何も知らないと

決心したのですとありますが

6節では私たちは成人の間では知恵を語ると言っています

すなわち霊的に成長した人たちの間では

それ以上の事を語りますとパウロは記しているのですね


【2020/07/29 00:20】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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