サムエル記 Ⅰ 9-17

2020-03-31 | 00:20


17-サムエルがサウルを見たとき、主は彼に告げられた。
「ここに、わたしがあなたに話した者がここにいる。
この者がわたしの民を支配するのだ。」


民が人間の王を求めて、神がそれに答えて王を指名する
王となる本人には告げる事ななく、使命するサムエルに告げられている
サウルは小さな族の出であるが、
民の誰よりも美しく、誰よりも背が高かったと言う
人々の注目を集めるには十分な人であっただろう

詩編 27-14

2020-03-30 | 00:20


14-待ち望め。主を。
雄々しくあれ。心を強くせよ。
待ち望め。主を。

待ち望みます。主を。
希望があるので、忍耐の日々も主への望みで喜びとなります。

今日のようないつ終わるのか分からない試練の時でも
そこに主は確実におられますから、顔を上げましょう
虚しい希望に振り回されたり、無責任な煽りに心を動かされたり
人の言葉を心に入れ過ぎると、主への望みが遠くなります
私が信じる者は最後には希望の光を下さるお方
模範となりますように、このような日々には、特に。

サムエル記 7-3

2020-03-29 | 00:20


3-そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。
「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の
神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、
主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」

神の箱がイスラエル人の手に渡り、イスラエル人に勝利と平和が戻りました
サムエルが生きている間、主の御手がイスラエルを守り続けていました
神の御心に添った指導者、サムエルに人々が従った結果です

荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 3月27日

2020-03-28 | 00:20

  家は香油のかおりでいっぱいになった。     ヨハネ  12-3


主のために壷は砕かれ、そのベタニヤの家庭は甘いかおりに包まれました。
全 ての人が高められるようにと、何かが解き放たれました。

しかし誰もそのことに 気づくことができませんでした。これは何を意味しているのでしょうか。

あまりにもひどく苦しみ、主お一人のほかに満足を見出だせないという状況に
追い込まれた人とあなたは今までに出会ったことがありますか。
出会えば、何か にすぐに気づいたはずです。

すぐにあなたの霊はかおり-パウロの用語では 「かぐわしいキリストのかおり」-を感じます。
神ご自身の内にあるものを開 放するために、彼の生活の中の何かが砕かれたのです。

そしてあなたはそれを見誤るはずがありません。そうです。
その日、ベタニヤの家を満たしたかおりは今日も教会を満たします。
マリヤの香油のかおりは決して消えゆきません。

サムエル記 Ⅰ 5-11

2020-03-27 | 00:20





11-そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、
『イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻って頂きましょう。
私たちと、この民とを殺すことがないように。』と言った。
町中に死の恐怖とあったからである。
神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。


神の箱は人が勝手に扱ってはいけないものである。
神がご自身の手で十戒を書かれた石が納められているものである
神の箱は神が祝福したイスラエル人の管理の元に置かれるものである
神とイスラエルの民との間に人は入ってはいけない

私たちも神と自分の間には誰をも入れるべきではない
私たちに与えられている霊は神の聖霊との直通の連絡網である

詩編 19-12

2020-03-25 | 00:20



12-だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。
どうか、隠れている私の罪をお赦しください。


神様の標準は人間には到達出来ないものです
心の中で人を裁くだけで殺人と同じなのだという基準です
私たちは心に浮かんだ悪口をほとんど忘れています
自分のあやまちを正しく数える事の出来る人は一人もいません

この事も処理して下さいと願う事はとても大切です
何故なら、奢る事がないためです
私たちはイエス様を通して赦される事が生きる基準です
そのためには気づかない罪があると知る事が最善です

荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 3月23日

2020-03-24 | 00:20

生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
                                                 ローマ  14-8


キリスト者としての技術的な側面を強調するのは絶対に避けるべきです。
そう ではなく私たちはキリストのものであるという基本的な事実を
いつでも強調する べきなのです。
そして私たちのなすことは全て、主に対してなされるのです。

私 たちは「主に対して」生き、「主に対して」死にます。
単に私たちの判断や行動 のゆえに私たちと意見が衝突する人々を
無理に説得しようとしてもだめです。

私たちの一つの目標は、彼らをより主の近くに導くことでなければなりません。
で すから私たちは表面的な正しさのために働くのでも、
何か良いことを共有するた めに働くのでもありません。
神ご自身とのより深い交わりのために働くのです。

私と全然違った考え方をする兄弟がいたとします。
その人と私のしていることが、 神に対して為されているかが
私の一番の関心事となりますように。

そこに私たち の目標が置かれているならば、
たとえ表面的には異なるものがあったとしても、
私たちの間は全て良好と言っていいのです。

イエス・キリストの主権はキリスト 者であることの中心点です。
もしイエス・キリストがあなたの主であり、
イエス・ キリストが私の主であるならば--実際その通りなのですが--、
そのとき主ご 自身が、ほかのことも調整してくださるのです。

サムエル記Ⅰ 1-18

2020-03-23 | 00:20



18-彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」
と言った。それからこの女は帰って食事をした。
彼女の顔はもはや以前のようではなかった。

祈る時には迷いや不信があってはならない
「私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、
すでにかなえられたと知るのです。」 ヨハネⅠ 5-15

願いが神に届くと信じて祈るなら、それは感謝へと変化しているでしょう
昔、田舎住まいの老人が山を越えた所の村の人々と行き来をしたくて
聖書に山をも動かす神とあるのだから
この山を動かして下さいと祈り続けていたところ
土地開発が決まり、その山を開いて道路を作る事になり
ある日山がなくなり隣村へ行けるようになったという話があります
神はその老人の願いは村人との交流である事を知り
その願いを聞いて下さったのです

神は願いに耳を傾けて下さいます、方法は神の側がお決めになります

荒野の食卓、ウォッチマン・ニー、3月20日

2020-03-21 | 00:20

肉によって無力になったために、律法にはできなくなっていることを、
神はしてくださいました。
神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形で
お遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
ローマ書 8-3
       
                                      

御霊に従って歩むとは何を意味するのでしょうか。それは二つのことを意味し ています。
第一にそれは労働ではなく、ただ歩くことです。神を賛美しましょう。
神を喜ばせようとして「肉に従って」いたときの辛く実を結ばない努力は、
いま や「私たちのうちに働く力」に対するおだやかで実り豊かな信頼に取って変わり ました。

ガラテヤ書でパウロが肉の行いと御霊の実を対比させた理由がここにあ ります。

二番目に、「従って歩む」とは「後をついて行く」ことです。
それは従属関係 をほのめかしています。
つまり先頭は御霊ではないのですか、と。

御霊に従って 歩むとはあらゆるものが御霊の支配下にあることを意味します。
これからは人生 の主導権を御霊様に握っていただかなければなりません。
ところで御霊に従って 歩む者に一つだけできないことがあります。
それは御霊の前を走ることです。

コリント第一 1-21

2020-03-20 | 00:20


21-事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、
神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、
宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

救われた者は身内や知人に宣教をしたくなるものです
主を伝える場面では、つい相手を説き伏せようとしてしまい
自分の言葉を強く押し出してしまいますが
神は宣教のことばはこの世の人には愚かだと言われます
御言葉を使って伝えていれば神が助けて下さいますが
自分の思いが先走り、自分の言葉を使うだけでは神は助けようがありません
伝えるだけであって説き伏せてはいけません
神が良しとされることばだけでいいのです

ルツ記 1-18

2020-03-19 | 00:20




18-ナオミは、ルツが自分といっしょに行こうと
堅く決心しているのを見ると、もうそれ以上は何も言わなかった。


ナオミから夫と子供を取り上げた主ですが
死ぬまで一緒に暮らし、同じ所に葬って欲しいと言う
嫁のルツが寄り添います
主は取り主は与えます
すべての事の背後に神がおられ、人間には先の事は分かりませんが
黙って受け入れるのが最善への道です

荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 3月17日

2020-03-18 | 00:20

 昨夜、私の主で、私の仕えている神のみ使いが、私の前に立って、    

       使徒行伝 27-23


 私はもはや私のものではなく、主のものであることを最初に発見したとき、
それはもう大事件でした。ポケットに入れたお金が私のものなら、
それをどうしよ うと私の勝手です。

しかしそれがもし別の人から預かっているものだとしたら、
自分の気に入ったものをそのお金で買うわけにはいきませんし、
わざわざ使おう と言う気持ちにもならないでしょう。

自分たちの時間、お金、才能は実は主のも のであって
自分たちのものではないという認識のもとに、
それらを使いたくても あえて使わないでいるような者は
私たちの中で何人くらいいるでしょうか。

私たち自身が別の人に属している者だという強い認識のもとで、
一円たりとも無駄に しない、あるいは一時間たりとも時間を浪費しない、
知力あるいは労力を一切無 駄にしないという意識を持つ者が
私たちのうちで何人いるでしょうか。

私たちは 神に対して生きている者です。
自分に対して生きてはいません。本当のキリスト 者の生活はここから始まるのです。

申命記 6-4,5

2020-03-17 | 00:20


4-聞きなさい。イスラエル。
主は私たちの神。主はただひとりである。
5-心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。

聖書を読む時に、神様が呼びかける言葉を
「聞きなさい。イスラエル」とあるなら「聞きなさい。〇〇〇よ。」と
自分の名前を入れて読むといいと教えてもらった事がある
神様は私だけに囁きかけておられます。
聞きなさい、あなたにわたしの喜ぶ事を教えよう
心、精神、力を尽くして、わたしを愛しなさい。
甘い呼びかけです、是非応えたいと思わずにはいられません。

士師記 19-30

2020-03-15 | 00:20

30-それを見た者はみな言った。「イスラエル人がエジプトの地から
上って来た日から今日まで、こんなことは起こったこともなければ、
見たこともない。このことをよく考えて、相談をし、意見を述べよ。」


イスラエルには王がなかった時代のことであると書かれてあり
想像も出来ない残酷な事を人々はし続けた。
結果、民は神にお伺いを立てる事もしないで
人間を当てにして人間の考えで事を進めようとしている
イスラエルがエジプトから脱出出来たのは
ただ、神が人々に歩む道を教えたからである
この事を代々言い伝えよと命令さえ、されている国民なのである


詩編 27-4

2020-03-13 | 00:20




4-私は一つのことを主に願った。
私はそれを求めている。
私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。
主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。

主の宮に住み、ずーと思いにふけっていられたらと思わずにはいられません
その一つで十分です
主を見上げてさえいれば、この世の出来事に心は動かされません
どちらを選びましょうか
この世の儚い喜びでしょうか、主を仰ぎ見る喜びでしょうか

士師記 11-35

2020-03-12 | 00:20


35-エフタは彼女を見るや、自分の着物を引き裂いて言った。
「ああ、娘よ。あなたはほんとうに、私を打ちのめしてしまった。
あなたは私を苦しめる者となった。
私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。


エフタは何という誓いを主にしてしまったのでしょう
自分の娘をいけにえとして捧げる可能性がある事には考えが及ばず
自分の思慮の無さに嘆く事となります
主への誓願はそれほどに重いものです
だからこぞ、主に誓う時には軽々しい考えであってはいけません

テモテ第一 6-3,4

2020-03-11 | 00:20



3-違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの
健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、
4-その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、
ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。
そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、

何故、違った教えに傾いていくのでしょうか
自分を一番に考え、自分の考えに同意する人を求めるからです
そもそも自分が正しいとして議論をする事が神から外れていく事です
ねたみ、争い、そしりは自分が一番としなければ起こり得ません
私たちは常に目の前に完全なる正しさである神を置き
自分の考えが最も正しいとする勘違いから離れたいものです

荒野の食卓 ウォッチマン・ニー 3月9日

2020-03-10 | 00:20

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされて
いるのでもありません。
ただ捕らえようとして、追求しているのです。
そして、それを得るよ うにと
キリスト・イエスが私を捕えてくださったので す。 ピリピ3-12


私たちの主人ほど多くの僕を抱えている主人はほかにいません。
そして私たち の主人は一人一人にふさわしい仕事をお与えになっておられます。
名もなき僕すらナアマンの必要が満たされるような進言を与えるために近くにおかれていまし た。
私たちの多くは神が与えてくださった私たちの立場について
ぶつぶつと不平 をもらします。
これをしたいのに、神はあれを割り当てられます。
ここで主に仕えたいという抱負があるのに、神の私たちへのご計画はほかにあります。
このような明白なくいちがいに直面したとき、神の私たちに対するご目的を、
私たちが 回心したときにまでさかのぼって思い出してみるのがいいでしょう。
というのも 神はあらかじめ、私たちが生まれる前から、
私たちを取り巻く状況を定めておられたからです。
神は決してその場の思いつきでことを行われません。
神はずっと、ずっと以前から用意しておられるのです。
ですから神の召しについて、不平を言 う必要もなければ、
それを誇る必要もありません。同様にねたまれるものもいま せん。
なぜならほかの人々の優れたところも私たちには関係ないからです。
私たちが人生を振り返るとき、
すべては神によって備えられていたものであることを 認め、屈服します。
ですから私たちは捕らえ損なったと恐れるには足りません。
この確信を持つことこそ真の休息にほかなりません。

士師記 7-9,10

2020-03-09 | 00:20



9-その夜、主はギデオンに仰せられた。
「立って、あの陣営に責め下れ。それをあなたの手に渡したから。
10-しかし、もし下って行くことを恐れるなら、
あなたに仕える若い者プラといっしょに陣営に下って行き、


ミデヤン人らの話は主がミデヤン人の陣営を
ギデオンの手に下さったと分かるものであり
それに勇気を貰ったイスラエルの陣営では力を得て戦う事が出来た
主の励ましは分かり易く疑う余地がない
それを得たなら迷わず進むだけで勝利を得られるのです

イザヤ書 55-11

2020-03-08 | 00:20



11-そのように、わたしの口から出ることばも、
むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、
わたしの言い送った事を成功させる。


神の言葉には力があります
無駄口というものはありません、軽く言ってみたなどという事もありません
ですから私たちは耳をそば立てて聞かなければなりません
必要な時に必要な言葉を知っておられるのは神だけです
一人一人に見合った御言葉をご存知ですから
疑う余地がありません
私たちは神の言葉をしっかりと受け止め
今日の聖書を感謝をもって心に留めたいものです。

詩編 42-2

2020-03-07 | 00:20


2-私のたましいは、神を、生ける神を求めて、
渇いています。
いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。

私たちは迷い出る事の多いものです、目に見える偶像を頼りにしても
満たされる事はなく、渇くばかりです
生ける神だけが私たちの渇きを解決して下さいます
求める時は飢え渇いている時ならいつでもです
自分を何かで誤魔化す事なく
渇いていると知ったなら即神の御前に訴えていいのです

荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 3月5日

2020-03-06 | 00:20

世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のし たことも語られて 
この人の記念となるでしょう             
マルコ14-9


 なぜ主はこう言われたのでしょうか。
福音はこのような行動を引き起こすよう にできているからです。
このためにこそ福音は存在します。福音は罪人を満足さ せるためにあるのではありません。
神を賛美しましょう。罪人には罪人の果たす べき分があるのです。
神は罪人の必要を満たし、祝福の雨を罪人に降らせてくだ さいます。
しかしそれは福音本来の目的ではなく、福音の副次的な祝福と言える かもしれません。
福音はまず第一に神が満足されるために宣べ伝えられなければ なりません。
しかし私たちは次のことを忘れてはなりません。
すなわち自分自身 を主に対して「消耗させる」ことなしに

主は決して満足されないということです。
あなたはもう十分に主に捧げていますか。
いいですか、神の奉仕において、消耗 の原理はすなわち力の原理です。
神のみ手の内で真に役立つものは、その消耗の 度合いによって知られます。
私たちの主に対する働きの源は主への献身であり、
またあらゆる働きの実も主への献身がもたらすのです。

士師記 2-19

2020-03-04 | 00:20



19-しかし、さばきつかさが死ぬと、彼らはいつも逆戻りして、
先祖たちよりも、いっそう堕落して、ほかの神々に従い、
それに仕え、それを拝んだ。
彼らはその行いや、頑迷な生き方を捨てなかった。

神の命令に聞き従わず、カナンの地の偶像をそのままにしたために
イスラエルは堕落していった
私たちは、意思の力だけでは神に従い通す事は出来ない者
神が望まれる事は必ず成就するので
力の強い者や戦車に怯む事なくカナン人を排除すべきでした
安楽な道を選んだ結果、破滅へと進んでしまうのです-

私たちもこの世を恐れて未信者にすり寄る事には危険が伴うと

知る必要があります

未信者とのお付き合いには主への祈りなくしては成り立ちません

士師記 1-19

2020-03-03 | 00:20




19-主がユダとともにおられたので、ユダは山地を占領した。
しかし、谷の住人は鉄の戦車を持っていたので、
ユダは彼らを追い払わなかった。


主のご目的はイスラエルの民が神に聞き従い
約束の地を占領する事です。
が彼らは、カナン人を恐れ妥協して共に住む方を選んだ民となっていった
これが、やがてどのような結果になるのかは
読み進めていくと分かるようになるのでしょうね

ローマ書 4-5

2020-03-02 | 00:20


5-何の働きもない者が、
不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、
その信仰が義とみなされるのです。


私たちが義とみなされるのは行いによるのではありません
私たちが信じるお方はただ信じるだけで義と認めて下さるお方です
肉を纏う私たちは今日の信仰を明日も維持出来るとは限りません
この信仰すら神の支えが必要なのです

ヨシュア記 22-29

2020-03-01 | 00:20


29-私たちが、主の祭壇の前にある私たちの神、
主の祭壇のほかに、全焼のいけにえや、穀物のささげ物や、
他のいけにえをささげる祭壇を築いて、きょう、主に反逆し、
主に従うことをやめるなど、絶対にそんなことはありません。

神がイスラエルに与えた土地はヨルダン川の西側ですが、ルベン、ガド、マナセ半部族は
自分たちの希望を優先してヨルダン川の東側に住む事となり
川の近くに建てた祭壇がイスラエル人からは反逆の証のように見えた
しかし、詳しく説明を受けてイスラエルの誤解だと分かり
事なきを得たのだが、西側のイスラエル人は100%の信頼は持っていないように思う
神に信頼していく事は仲間の安心をも得る事になる
神は人間に自由意志を持たせたが、
自分たちの意思を押し通す事が幸せに繋がるかどうかは歴史が証する