5-神は私たちが行った義のわざによってではなく、

ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって

私たちを救ってくださいました。

6-神は、この聖霊は、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、

私たちに豊かに注いでくさったのです。


私たちが救われたのは神のあわれみによるのです

私たちは何かをしたくなります、しかもこの世的に良い行いをです

それは自己を誇るためです、気付かなくてもそうなのです

それよりも無力である事を認めて

ただ神の憐れみを受けるだけでいいのです

一体何故イエス様がこの世に来られたのでしょう

それは私たちが自力ではこの世から離れる事が不可能だからです

イエス様の十字架だけが救いへの道であり

それは行いではなく、神の義によるのです





12-地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。

火のあとに、かすかな細い声があった。

13-エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔を覆い、

外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。

「エリヤよ。ここで何をしているのか。」


神の預言者エリヤの登場です

エリヤは常に神の言葉を聞き、民に告げています

その神の声はかすかな細い声です

この世の喧騒に心を奪われていてはけっして聞こえません

主の御声を聞き分けたなら、声のする方へ心を向けましょう

神は私たちの行動のすべてをご存知ですが

必ずこうお尋ねになります

「あなたはどこにいるのか」「ここで何をしているのか」

しっかりと答える事が出来るように準備をしておきたいものです




30-神の聖霊を悲しませてはいけません。

あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって

証印を押されているのです。


私たちは神のうちにおり、神も私たちのうちにおられるために

神は私達に聖霊を与えて下さったのです

聖霊とは主との交わりのためだけに与えられたものです

主はいつも常に私の方を向いて下さっているのに

私はこの世の煩いに心を奪われ、神から目を離してしまいます

神に喜んで頂きたい、

立派な行いをする事ではありません

ただ、神からの聖霊を粗末にしてはいけません

いつも神に心と目を向けていなければ、何ともったいない事か。




1-ネパテの子ヤドブアム王の代19年に、アビヤムはユダの王となり、

2-エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい

アブシャロムの娘であった。

3-彼は父がかつて犯したすべての罪を行い、

彼の心は父ダビデのようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

4-しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて

彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、

エルサレムを固く立てられた。


ソロモンの子レハブアムとヤロブアムとの間には

一生の間、争いがあった

けれども、神はダビデのゆえにレハブアムをエルサレムの王として

重んじられました

神が一度でも約束した事はないがしろにはなさいません

すべての罪を行ってしまってもダビデに免じて

子孫を起こしエルサレムを守られます。






 私たち生きているものは、イエスのために絶えず死に渡されていますが、

それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において

明らかに示されるためなのです。 II コリント 4-11

 

これは何を意味するのでしょう。

私はただ神に頼っているときにだけ行動しよう、という意味です。

私は自分の内に満足すべきものが見い出せないでしょう。 私は一歩も進めないでしょう。

なぜならそのような力しか遺伝的に引き継いでいないからです。

禁断の実によってアダムは行動する力の相続者となりました。

しかしその力はまさにサタンの手に操られたのです。

あなたが主を知るようになるときにその力は失われます。

あなたはいま、別のいのちによって生きています。

そして主からあらゆるものを引き出しているのです。  

私の親友達よ、私たちは自分自身を適切に理解していると私は考えています。

しかしほとんどの場合、自分自身のことで本当に恐れおののいていません。

私たちは恭しく神に申し上げるかもしれません。

「もし神がそれを望んでおられないなら、私はそれをすることができません」。

しかし現実には私たちがそれを自分でやってのけてしまうのは間違いないところです。

あまりにもしばしば自分が 原因になって私たちは決定し、行動し、

神から離れた力を持ってきたことでしょ う。

私たちが明らかにしているキリストはあまりにも小さいのです。

なぜなら自分自身の内側に私たちはあまりにも大きく成長してしまったからです。

神よ、 私たちをお赦しください。




7-帰って行ってヤロブアムに言いなさい。

イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『わたしは民の中から

あなたを高く上げ、わたしの民イスラエルを治める君主とし

8-ダビデの家から王国を引き裂いてあなたに与えた。

あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。

ダビデは、わたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、

ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行った。』


ヤロブアムは主から10部族を貰っても満足出来なかった

平安を得る事が出来ず、他国の神を拝して主を嘆かせてしまう

16-ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた

罪のために、主はイスラエルを捨てられるのです。

神をないがしろにする事は本当に恐ろしい事です

ただ言いつけを守る事をしなかっただけで将来のイスラエルまでもが

罰を負うのです







19-わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。

だから、熱心になって、悔い改めなさい。

20-見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。

だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、

わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、

彼もわたしとともに食事をする。


この世を生きて試練があるのは神の赦された事であり

耐えられない試練は与えないと言われた通り、一人一人に見合った試練です

私たちは試練からの神の愛を知る事が出来て、

やがて、すべてが益と変えられている事を知る事が出来ます

それどころか、試練をそのまま受け入れたなら

イエス様が戸をたたく音がしっかりと聞こえるものなのです

主とともに食事をするとは何と幸せな事でしょうか

戸を叩く主の声が聞こえたなら

躊躇わずに戸を開けましょう




23-「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、

および、そのほかの民に告げて言え。

24-『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。

あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。

おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』

そこで、彼らは主のことばに聞き従い、

主のことばのとおりに帰って行った。


ソロモンの子、レハブアムは長老の意見に従わず

自分と年齢が同じ人たちの意見を取り入れて失敗をするなど

若さゆえに自分の思いを優先させることも多い

しかし、主の言われた事には従う心を持ってもいる






9-主はソロモンに怒りを発せられた。

それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。

主は二度も彼に現れ、

10-このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと

命じておられたのに、

彼は主の命令を守らなかったからです。


神がソロモンに付き合ってはならないと伝えた外国の女を

妻としたためにソロモンは彼女たちの神を受け入れてしまう

かつてはアダムがエバから誘惑を受けたように

ソロモンも同じく異国の妻から神への忠誠心を奪い取られてしまう

人間は案外辛い環境にある方が神の方へ心が向くもので

有り余る財産と名誉と地位を得たソロモンは神から心が離れてしまう

それでも神はダビデのゆえに

イスラエルを滅ぼす事はしないと約束され

12部族のうち1部族(ユダ族)だけをソロモンの子に与えると言われる

36-彼の子には一つの部族を与える。

それはわたしの名を置くために選んだ町、エルサレムで、

わたしのしもべダビデが

わたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。





9-あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを

着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。

主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、

あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです。


シェバの女王はソロモンの噂を聞き、直接会いに来ました

そして噂以上の現実に目を見張り、神を褒め称えました。

神からの知恵をソロモンによって聞く事の出来る民をも羨みました。

しかし、誘惑は貧しい時や苦しい時に起こるものではなく

このように豊かで全てが上手くいっている時に起こるものなのです


真理を買え。それを売ってはならない。知恵と訓戒と悟りも。
                                                      箴言  23-23

嘘には値段がありません。それは安くて巷にあふれています。

しかし真理には 常に代価がつきまといます。まず第一にへりくだりという代価。

なぜならへりくだりは神が従順な人々に与えてくださった光だからです。

もし私たちが自分自身を低くするという代価で

真理を買う用意が為されていないなら、真理は手中にできません。

そして忍耐には代価が必要です。性急な判断やせっかちな決定は、

神に仕え、神を待ち望む人々に与えられる神の光とは無縁のものです。

そして決定的なことですが、服従には代価が必要です。

「誰でも自分の思いを為そうとするなら、その人は知らねばならない」。

もし私たちが神のみ心と神の方法を知ろう とするなら、

服従が不可欠なのは疑念の余地がありません。

私たちの信仰は廉価 版で、代価を払わないほど安易なのでしょうか。

それとも神の真理によって、どんなに大きな代価であろうとも、

その真理の上に信仰を建て上げていただく心積りができているのでしょうか。



27-それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。

実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。

まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。

43-あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き

その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。

そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、

あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、

私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを

知るようになるでしょう。


ソロモンがダビデに悲願であった神の宮を建て、神の箱を運び入れた時に

多くの祈りを神に捧げた

民が宮に向かって祈る時には天にて聞いておられる神が憐れんで下さいますように

また、外国人にも同じ憐れみをくださいますように

神がソロモンに与えた知恵は何と素晴らしいものでしょう

イスラエルの民だけではなくすべての民が主を仰ぎ見るようにとの

祈りはソロモンだけのものでしょう


57-私たちの神、主は、私たちの先祖とともにおられたように、

私たちとともにいて、私たちを見放さず、

私たちを見捨てられませんように。



18-こどもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、

行いと真実をもって愛そうではありませんか。


主が持っておられる愛と、私たちの愛とは違うものでしょう

私たちは好きな人しか愛せない

あるいは相手も自分を愛してくれている事が前提であったりします

真実を持って愛するとは全身全霊で愛する事でしょうが

これは非常に難しい

神は私たちが頑張って出来る愛を求めてはいません

愛を行いと真実でなそうとするなら

必ず主からの導きを必要とするものです




31-そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、

何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

32-こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。

しかし、あなたがたの天の父は、それがみな

あなたがたに必要であることを知っておられます。

33-だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。

そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


生きていくのには食べ、飲み、着るが最低必要な物ですが

神は生きるために最低の事は必ず用意して下さるのです

そこが不安であるなら私たちは安心して神を呼ぶ事が出来ません

神の国とその義を求める事を第一にするためには

衣食の心配をする事から解放している事が大切です

神にとって私たちの衣食を備えるなどは簡単過ぎるほど簡単なのです

そこから目を離して、神はどんな事でもお出来になる事を賛美し感謝しましょう









11-神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、

自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、

あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために

正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

12-今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。

わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。

あなたの先に、あなたのような者はなかった。

また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

13-そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。

あなたの生きているかぎり、王たちの中で

あなたに並ぶ者はひとりもないであろう。


何でも求めよと神に言われたソロモンは私欲の事を願わなかった。

これは驚く事です

富があるなら長寿を求めるのが普通でしょう

神がソロモンをどれほど喜ばれたことか、願わなかったものを

与えると言われて、唯一無二の者だと褒めました

何でも欲しいものを言いなさい、と神に言われた時に

何を願うかで人間の価値が量れるのかも知れません



 『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同
体となるのだ。』と言われたのです。        マタイ 19-5

 

 エヴァは一人で、孤独でした。

そして彼女は完全にアダムのために作られました。

旧約聖書の教会の雛形になりうると感じられる女性達の中にあっても、

こうしたエヴァの特徴は彼女に独特な、

あるいは唯一と言えるほどの立場を与えています。


彼女たちそれぞれには教会の救いの表情が刻まれています。

たちは彼女 たちに花嫁を見て取り(リベカ)、

異邦人からの選びを見て取り(アセナテ)、

荒野を旅することを見て取り(チッポラ)、

相続地を受け継ぐことを見て取り(アクサ)、

買い戻しの権利のある近親者により頼むことをまた見て取り(ルツ)、

主人のための果敢さを見て取るのです(アビガイル)。

しかし彼女たちのどれも エヴァほどには示唆に富んではいません。

というのも彼女たちは全員堕罪を受け 継いでいますが、

しかし罪が入る前の祝福された時代にあったエヴァは、

神が教会に望んでおられる神の御子との一致の成就を私たちに示してくれるのです。

エヴァは最初にアダムから作られました。

そしてアダムの助け手として彼のもとに 連れてこられるために。

一つのものが二つになったのです。二つのものは、そして再び、一つになりました。

このエヴァに見られるものは教会の奥義です。

すなわちキリストから出たものは、再びキリストのもとに還るのです。



34-祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼に油を注いで

イスラエルの王としなさい。そうして角笛を吹き鳴らし、

『ソロモン王。ばんざい。』と叫びなさい。

35-それから、彼に従って上って来なさい。

彼は来て、私の王座に着き、彼が私に代わって王となる。

私は彼をイスラエルとユダの君主に任命した。

36-エホヤダの子べナヤが王に答えて言った。

「アーメン。王さまの神、主も、そう言われますように。」


アド二ヤが王になるという野心のゆえにした宣言は

彼個人の勝手な思いであって神の御心ではありませんでした

神はダビデの子、ソロモンを王にするという約束を破る事はありません

神が知恵と力を惜しみなく注いだソロモンが王となる事は

初めから決められていた事であり、すでにソロモンには

神の知恵が授けられていました。



33-わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、

あなたがたが、わたしにあって平安を持つためです。

あなたがたは、世にあっては患難があります。

しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。


この世を眺めると神が勝ったとは思えないかも知れません

しかし、神はこの世が何事もなく平和であるとは言われていません

この世にあっては患難があると言われています

どんな患難であっても神の許しがなければ起こりません

サタンは勝手にこの世に災いを送る事は出来ません

すべて、神の了解を得なければなりません

神はサタンの上に存在し、イエスの十字架によって

人間に赦しを与えられましたから

私たちは世に勝った神を信じていさえすれば

神からの平安を頂けるのです

しかも、サタンからのすべての患難はやがて神によって

益と変えられるのです

目の前にある患難ではなく永遠の神から来る平安に目を向けたいものです


17-主は、いと高き所から御手を伸べて私を捕らえ、

私を大水から引き上げられた。


18-主は、私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。

彼らは私より強かったから。

19-彼らは私のわざわいの日に私に立ち向かった。

だが、主は私のささえであった。

20-主は、私を広い所に連れ出し、私を助け出された。

主が私を喜びとされたから。


ダビデが王サウルから逃れた時に感謝を捧げた歌です

ダビデはサウルに戦いを挑む事なく、戦いを避けるために逃げ回りました

軍勢の質や数で負けていたダビデですが常に神が傍におられました

それがダビデの支えです

ダビデは神が支えて下さる事を知っていました

ですから無駄に自分の力に頼る事はなく神に委ねました

自分が神の喜びであると知る事は大きな信頼へと繋がります




11995365-青空の背景に白いキリスト教十字架します。



8-それで、王は立って、門のところにすわった。
人々がすべての民に、『見よ。王は門のところにすわっておられる。』と知らせたので、
すべての民は、王の前にやって来た。

自分の命を狙っていた我が子の死を知らされて
ダビデは民の事より我が子の死を嘆く時間を持ちたかったが
ヨアブのアドバイスを受けて民の王として振舞う事が出来たが
これは神も喜ばれる事でしょう
ダビデを王として任命したのは神であり
ダビデには常に神がそばにおられ約束を果たして下さるのだから。


 この後、私は、天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。  
                         黙示 19-1


 この黙示録での最初のハレルヤは、
何回も何回も「大」を冠して記されてきたある都の滅亡によって生まれたものです。
なぜバビロンが投げやられたときに、天はそれほどまでに歓喜の声を上げるのでしょうか。
なぜならバビロンは見せかけとむなしさの霊が具体的に姿をとって現れたものだからです。

カナンに入植してから人々が犯した最初の罪は、バビロンの服を身にまとったことでした。
アカンはバビロンのぜいたくな生活をむさぼりました。
彼は見栄えを飾りたかったのです。

そして初代教会において最初に記録された罪もそれと似ていました。
アナニヤとその妻サッピラは実際に払った犠牲よりも多くのものを
捧げたように見せかけて、ひとびとの称賛を得ようとしました。
彼らも見栄を飾りたかったのです。

今日の教会において、我々はなんとあっさりと他人に印象づけようと芝居を打ち、
自分たちのために称賛と喝采の席を設けることでしょう。
これこそバビロンの本質、すなわち淫婦。そして神の忌み嫌われるもの。





11-ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。
「見よ。私の身から出た私の子さえ、私の命をねらっている。
今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。
ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。

12-たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、
私にしあわせを報いてくださるだろう。」

ダビデは自分の子アブシャロムから逃げる生活となっているが
神への、信頼、畏れは失ってはいない
やがて神が自分の心に応えてしあわせを下さるという希望を失わない
やはりダビデは神によって生き、神によって死ぬ覚悟のある王である




27-わたしはあなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。


イエス様が私たちに与えて下さった平安とは不幸が何も怒らないという
この世的なものではありません。この世にいる限り病も死もないという事はあり得ません
イエス様の平安とは悩みのその中で解決されるという平安です
病も死も沢山の理不尽の中での平安です
環境には全く左右されない平安がイエス様からの平安です
私たちはこの事をあの事を取り除いて下さいと祈りますが
本心はそれがなかったかのような穏やかさを得たいという事です
イエス様は取り除くという方法ではなく結果の穏やかさを与えるという方法です
恐れずに主を待ち望めばいいのです



9-それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ
わたしの目の前に悪を行ったのか。
あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、その妻を自分の妻にした。
あなたが彼をアモン人の剣で切り殺したのだ。

10-今は剣は、いつまでもあなたの家から離れない。
あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。


ダビデの企みは神の怒りを引き起こした。それほど酷いものであった
もし誰かがダビデと同じ事をしたならどうか、とナタンに問われ
ダビデは「そんな事をした男は死刑だ」と言うほどであった

ダビデも戦いの真っ最中には常に神からの導きを求めているが
戦いに勝ち続けると気持ちが緩んだのか、神より自分の欲に負けてしまう
ある宣教師は映画館の前を通らずに遠回りをすると聞いた事がある
何故ならば看板に描かれている女性の裸体を目にしないためだと言う
人間の弱さを知っている者は常に自分を見張っているものなのだ

神の厳しさはこの罪のためにダビデの子供を奪い取る
悔い改めたたダビデに神はソロモンという子供を与え慰めも与えるのだ




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