25-ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして

モーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、

彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、

ひとりも起こらなかった

26-それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こした

あのいらだたしい行いのために、

主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを

静めようとはされなかった。


神のなさる事を人間は100%理解する事は出来ません

何度でも悔い改めを受け入れて下さるお方がマナセの行いのせいで

ユダに対する怒りを持ち続けると言われます

神がそう言われる事をただ黙って受け取るだけです

私たち人間は神の前に従順である事を示すだけです





19-あなたが、この場所とその住民について、

これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、

あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、

わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる

━主の御告げです━


ヨシヤが王となり先祖たちのふるまいに神が怒りを持っていると知り

民は神への悔い改めを現しました

神は民の悔い改めをそのまま受け入れて下さいます

自分の行いが神を悲しませると知ったなら

悔い改めが必要で神は私たちの食い改めを受け取って下さいます

何度でもやり直しをさせて下さるのです。





24-また、彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろう

という議論も起こった

25-すると、イエスは彼らに言われた。「異邦人の王たちは

人々を支配し、また人々の上に権威を持つ者は

守護者と呼ばれています。

26-だが、あなたがたは、それではいけません。

あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようになりなさい。

また、治める人は仕える人のようでありなさい。


イエスがこの世に生きておられるうちに

しかもイエスの目の前で誰が偉いのかと議論をする弟子たちです

イエスの十字架を実際に目にした時に

最も偉い人が最も蔑まされる死に方で死んでいき

仕える人の形をとるという見本を見せられました

しかし、肉のある人間は人から尊敬される事を喜びとします

人からの栄誉を受けてもイエス様からのお褒めを頂かないなら

本当の平安はあり得ません





11-「ユダの王マナセは、これらの忌みきらうべきことを、

彼以前にいたエモリ人が行ったすべてのことよりも

さらに悪いことを行い、

その偶像でユダにまで罪を犯させた。


神に従ったヒデキヤ王の子供であっても

マナセは悪の道をひた走るようになってしまう

親を見て育っても、中々正しく生きる事は出来ないが

ユダにまで罪を犯させるのは神をとことん悲しませる事です




6-わたしは、あなたの寿命にもう十五年を加えよう。

わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、

わたしのために、また、わたしのしもべダビデのために

この町を守る。


ヒデキヤは病のために死ぬと預言された時に

今までの行いの正しさを涙を持って神に訴え

命を十五年延ばして貰いました

が、人間は必ず死にます。

神が決められた寿命を延ばす事は意味があるのでしょうか

やがてすべての財産はバビロンに奪われると知らされたのです






黒紫色の実-種類


3-しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が

感謝をして受けるようにと、神が造られた物です。

4-神が造られた物はみな良い物で、

感謝して受け取るとき、捨てるべき物は何一つありません。


生きていくためには食べ物を必要とします

そのように人間をお造りになったのは神様ですから、

必ず、用意をされています

何を食べるのか心配するなとも言われています

命に係わる食べ物には心配する必要がない

私たちが出来る事はただ感謝をする事でしょう






9-私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識と

あらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、

10-あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることが

できるようになりますように。

またあなたがたが、キリストの日には純真で

非難されるところがなく、


ソロモンが神に知恵が欲しいと祈った時に

神はとても喜ばれました。

真の知識と知恵を求める事は神の御心に添った祈りです

この世の騒々しさで大事な事を見失いがちですが

真にすぐれたものを見分ける力を願い求めます




36-民は黙っており、彼に一言も答えなかった。

「彼に答えるな。」というのが、王の命令だったからである。


ヒデキヤがユダの王となり、主に固くすがって離れる事がなかった

そのゆえ神はヒデキヤといつも共におられた

が、この事が気に入らないラブ・シャケは民を誘惑して

ヒデキヤから心を離させようとしましたが

民は王の言葉を守り通した

私たちは外野の声を御言葉によって避ける事が求められますが

ついつい、この世の人々と照らし合わせたりして

判断を狂わせてしまいます

ユダの民のように王の言葉だけを耳に入れるようにしたいものです




6-何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、

感謝をもってささげる祈りと願いによって、

あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。


思い煩いの結果、願い事は沢山あります。

でも、神は思い煩いの事を願いなさいとは言われません

感謝と祈りを持つと願い事が変わってくる

どんな事も感謝が湧いてきて神の不思議さに圧倒される

私たちはどのように祈ったらよいかわからない、と

書かれてある通り、本当にどのように祈るのが最善なのかは

分からないものです

祈りすら御霊の導きを必要とします

まず、感謝を持つ事が祈りの前に必要なのでしょう




16-祭司ウリヤは、すべてアハズ王が命じたとおりに行った。


祭司こそが常に神の方を向いているべきなのに

ウリヤは常に王のご機嫌を伺っている

祭司と王が勧める事を民は行ってしまうでしょう

私たちも常に目を何処に向けるのか気を付けていたいものです




ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、

わたしもその中にいるからです。       
                           マタイ18-20

 

その前の聖句は、聞き届けられる祈りについての素晴らしい約束を与えました。

しかし約束には条件があります。少なくとも条件は二つあり、

二つとも満たされていなければなりません。

なぜ彼らの祈りは聞き届けられるのでしょうか。

なぜなら「ふたりでも三人でも、わたしの名において集ま」っているからです。

すなわち、彼らはただ集まっているのではなく、

彼らは集められている(受動態)のです。私たちにはその違いがわかります。

というのも集められることは単に自分たちで出かけるのではなく、

神の御霊に導かれて集められることだからです。

そして人々は自分たちの努力ではなく、

たった一つの共通した主の御名への関心をいだいて、やってきます。

まさしくこれは彼らが主イエスの御名において一つ に結びついていることなのです。

そしてこのようなとき、イエスは言われます。

わたしもその中にいるからです」。そしてイエスは導きを与え、

ご自身を明ら かにされ、光を照らされるのです。神を賛美しましょう。

それは約束ではなく、 事実を述べているのですから。



18-ついでエリシャは、「矢を射なさい。」と言った。

彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、

「それで地面を打ちなさい。」と言った。

すると彼は三回打ったが、それで止めた。

19-神の人は彼に向かい怒って言った。

「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、

あなたはアラムを打って、立ち滅ぼしたことだろう。

しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。


三回を打った事で満足した事にエリシャは怒りを現しました

自分の思いで神の大きな憐れみを止めてしまう

これは私たちも良くある事でしょう

人間の思いよりも神の思いははるかに大きいのです

そして神は多くを望む事を待っておられます

目の前に神を置いたなら大胆に行動して良いのです






3-イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。

人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができません。」


年を取って新しく生まれなければと言われたニコデモは

人は年を取ってどうやって新しく生まれるなんて出来るのでしょう

又、母の胎に入るなんて出来ません

とイエスに訊ねましたイエスが新しくと言われたのは

産まれ直す事ではなく、神からの聖霊を頂くという事です

じゃぁ、どうやったら聖霊を頂けるのでしょうか

ただイエス・キリストが私たちを罪から救い出して下さるお方であると

信じるだけです




30-主はエフーに仰せられた。

「あなたはわたしの見る目にかなったことをよくやり遂げ、

アハブの家に対して、わたしが心に定めたことを、

ことごとく行ったので、あなたの子孫は

四代目までイスラエルの王座に着こう。」

31-しかし、エフーは、心を尽くしてイスラエルの神、

主の律法に歩もうと心がけず、

イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。


エフーは神から油注がれた事を確信し、神の御心に添う事をなしながら

神の悲しむ事から離れようとはしない

行動は正しくありながら心は自分を変えようとはしない

目に見える事は信仰的なのに

誰にも見えない部分では不信仰である矛盾は

案外よくある事でしょう







27-人間の心を探り窮める方は、

御霊の思いが何かをよく知っておられます。

なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、

聖徒のためにとりなしをしてくださるのです。


御霊は神の思いを伝える働きがあって

私たちは心の耳を澄ませて、その御声を聞きたいのです

聖霊は神の思いから外れることはあり得ません

私たちが神の御心から外れる事があったとしても

御霊がとりなしをして下さいます

諦める必要はないのです

何度でもやり直しをさせて下さるのは御霊の働きでもあるのです




19-愛する人たち。自分で復讐してはいけません。

神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。

「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と

主は言われる。

20-もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。

渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、

あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。


人間の復讐はやり足りなくなくていつまでも恨みを持つか

やり過ぎて復讐を超えてしまうかのどちらかです

神は足りない事も過ぎる事もありません。

人間の出来る事は悪に対して善を報いるくらいでしょうか

相手はきっと戸惑うでしょう、きっと落ち着かない気分を抱くでしょう

それでいいのです

後は、神にお任せしましょう、私たちには関係のない事としましょう




4-たとい、私たちが町にはいろうと言っても、町はききんなので、

私たちはそこで死ななければならない。

ここにすわっていても死んでしまう。

さぁ、今、アラムの陣営にはいり込もう。

もし彼らがが私たちを生かしておいてくれるなら、

私たちは生きのびられる。

もし殺すなら、そのときは死ぬまでだ。


町の門の所で4人のらい病人はすわっているしかなかったが

このまま死ぬより行動を起こそうという気になった

決められた事を守って死ぬより

どうせ死ぬなら、生きるための行動を起こそうとする事に

主は応えて下さる




10-エリシャは、彼に使いをやって、言った。

「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。

そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」


らい病に罹ったナアマンを癒すためにエリシャの言った事が

あまりに簡単過ぎてナアマンは

もっと、もったいぶった癒しの行動があるではないかと怒った

しかし、しもべたちはエリシャの言われた事を行うように

ナアマンに勧め、彼は癒された

癒されたナアマンはエリシャに贈り物を受け取らせようとしたが

エリシャは決して受け取る事はしませんでした


私たちは難しい事に意義を見いだし、誰にでも出来る事はないがしろにする

イエスは救われるためには何をしたらいいのかと問う人に

「主イエスを信じなさい」と言われて、難しい事は何も要求されません


世の中には癒すという人がいて、かなりの報酬を求める事があるけど

大きな間違いです、

本当に神からの癒しであるなら贈り物を受け取るなどはあり得ません




         私が弱いときにこそ、私は強いからです。                         II コリント 12-10

 この逆説はまことのキリスト者の経験の心臓部に位置しています。

私はこの逆説を、自分自身の個人的な試みの中で理解するに至りました。

その試練の中で私は救済を求めて祈りましたが、パウロの肉体のとげのように、

それに対して「否」 という答えを受けたのでした。

そのとき私の頭には川船のことが浮かんだのでした。

その川船は深い川峡を渡ることができません。

というのも川の中の大きな岩が川底から150センチ以上も突き出しているからです。

私が試みを受けている間、ずうっと私はその巨大な岩を

取り去ってくださいと主に願い続けていました。

そのとき私の中に疑念がわき上がってきました。

航路から150センチの巨岩をどかしていただく方がいいのだろうか、

それとも神に水位を150センチまで上げていただく方がいいのだろうか、と。

パウロの訴えに対する答えは次のものでした。「わたしの恵みは十分です」。

もちろん水位が上がってくれた方がいいの です。

私の問題は消えてなくなりました。なぜならキリストの信仰とは

大きな石を取り除くということにあるのではなく、

岩よりもさらに深い水を得ることにあ るのです。


新芽


8-ある日、エリシャがシェネムを通りかかると、

そこにひとりの裕福な女がいて、彼を食事に引き止めた。

それからは、そこを通りかかるたびごとに、そこに寄って、

食事をするようになった。

9-女は夫に言った。「いつも私たちのところに立ち寄っていかれるあの方は、

きっと神の聖なる方に違いありません。

10-ですから、屋上に壁のある小さな部屋を作り、

あの方のために寝台と机といすと燭台を置きましょう。

あの方が私たちのところにおいでになるたびに、

そこをお使いになれますから。」


神を求め、信じる人は貧しい状態の人ばかりではありません

裕福な生活を送っている人であっても神に対する飢え渇きを覚え

常に神のために働きたいと思っている人も沢山いるでしょう

旅人の一人でももてなす人は神の救いから漏れる事はありませんと

イエス様も言われていますが

寝泊りをさせるじゃなく、寝泊りをして頂くという心持ちが

相手を感動させるでしょうね





7-あながたがわたしにとどまり、わたしのことばが

あなたがたにとどまるなら、

何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。

そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。


欲しいものを何でも求めなさい。

神はソロモンに何でも求めよと言いますが、

ソロモンの求めたものは知恵でした。

イエス様の言葉が留まるなら、必要なものは何でしょうか。






9-渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。

「私はあなたのために何をしようか。私があなたのところから

取り去られる前に、求めなさい。」

するとエリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が

私のものになりますように。」と言った。


エリシャはエリヤから何度も自分から離れるように言われても

主は生きておられ、私はあなたから離れませんと言い続けている

神がそばにおられると分かる相手からは離れないと言い

しかも神から頂いている霊も自分に下さいと言い切る。

神に関しては遠慮などいらないのだ

欲しいものを欲しいと言い続けていいのだ







16-王に言った。「主はこう仰せられる。『あなたが使者たちを

エクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てにやったのは、

イスラエルにみことばを伺う神がいないためか、それゆえ、あなたは、

上ってその寝台から降りることはない、あなたは必ず死ぬ。』」と。

17-王はエリヤが告げた主のことばの通りに死んだ。


王は自分に都合の良い言葉が欲しいために伺う人を選んでいるのでしょう

私たちも自分に都合の良い事を言ってもらうために

相談する相手を選んだり、都合の良い環境を選んだりしてしまう

必要なのは厳しい事であっても真のことばを

受ける態度を示していく事でしょう






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