私が弱いときにこそ、私は強いからです。                         II コリント 12-10

 この逆説はまことのキリスト者の経験の心臓部に位置しています。

私はこの逆説を、自分自身の個人的な試みの中で理解するに至りました。

その試練の中で私は救済を求めて祈りましたが、パウロの肉体のとげのように、

それに対して「否」 という答えを受けたのでした。

そのとき私の頭には川船のことが浮かんだのでした。

その川船は深い川峡を渡ることができません。

というのも川の中の大きな岩が川底から150センチ以上も突き出しているからです。

私が試みを受けている間、ずうっと私はその巨大な岩を

取り去ってくださいと主に願い続けていました。

そのとき私の中に疑念がわき上がってきました。

航路から150センチの巨岩をどかしていただく方がいいのだろうか、

それとも神に水位を150センチまで上げていただく方がいいのだろうか、と。

パウロの訴えに対する答えは次のものでした。「わたしの恵みは十分です」。

もちろん水位が上がってくれた方がいいの です。

私の問題は消えてなくなりました。なぜならキリストの信仰とは

大きな石を取り除くということにあるのではなく、

岩よりもさらに深い水を得ることにあ るのです。




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