学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-08-31 | 00:20

魂の人、すなわち、知性や感情に自分自身を支配させる人

魂を大切にして生きる人、そういう生まれながらの人を魂の人だと

ここでは言っているのだと思います

そういう人は自分の霊を無視して霊を用いる事をせずに

あたかも生きた霊を蘇った霊を持たないようでさえあると

パウロは警告しています

ウォッチマン・ニー兄弟の「霊の人」の最初の所に

人間の堕落について書かれてあります

「善悪の知識の実は人間の魂を高揚させ霊を抑圧します

神は単に人間をテストするためにこの実を食べる事を禁じたのではなく

神がそれを禁じるのはこの実を食べる事によって

人間の魂の命が刺激されて霊の命が失速させられる事を

知っておられるからなのです

この事は人間が神についての真の知識を失い、

そうして神に対して死ぬという意味しています

この禁令は神の愛を示しているのです

この世における善悪の知識はそれ自身が悪です

このような知識は人間の魂の知性から発生します

それは魂の命を膨張させ結果的に神の知識を失わせて

死に至る点で霊の命を収縮させてしまうのです

魂を高揚させる結果霊を抑圧させてしまう、

善悪の知識の実を食べるというのは

人間の魂の命が刺激されて霊の命が失速させれてしまう事です

と、ニー兄弟は言われています

勿論神に対する不従順の結果、私たちの霊は

神との交わりを断たれた断たれた訳ですが

それは同時に私たち人間の魂の働きが私たちの中で

極限に至るまで膨張していく状態だと記しているのです

2-14

ここの最後の御霊によってわきまえるという箇所は

原文では霊によってわきまえると記されています

霊によって、これは新しくされた私たちの霊によってと

解するのが妥当なのではないでしょうか

14節を忠実に訳した聖書があるのですが

「しかし、魂の人は神の霊の事柄を受け入れません、

なぜなら、彼にとってそれは愚かであるからです、

又、彼はそれを知る事が出来ません。

それは霊によって識別されるものだからです。」

とありますから、おそらく神によって新しくされた私たちの霊によって

神の事柄を識別するという意味ではないでしょうか

私たちが新しく生まれるというのは

私たちの霊が神との交わりを回復した状態になるという事です

そして神との交わりを回復した霊は神の霊の事柄を受け入れ

それを知る事が出来るようになるという事です

それまでは魂が私たちを支配していましたが

新しく生まれた人は魂に代わって新しくされた霊によって

生きる事が可能になると聖書は言っているのです



学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-08-14 | 00:20

そして、その新しくされた私たちの霊によって

私たちはそれまで知るよしもなかった神の深い御心を

知る事が出来るようになったという事です

2-13 人間のことば、知恵では神の霊のことばを解き明かす事は

出来ないのです

霊の事柄は神の知恵に関する事柄ですから

人間の言葉、知恵では説明出来ないのですね

一つの例えを考えてみましょう

ローマ書 8-16

私たちは神の子どもとされています、私たちはその事を

今は知っていますが、それは人間の知恵によって到達したのではなく

私たちが頂いた御霊、そしてよみがえらせられた私たちの霊

これによって私たちは初めて自分たちは今神の子どもであり

神の家族とされたという事を知るようになりました

私たちが神の子どもとされたという事を

人間の知恵によって理解したり説明したりは出来ないのです

そしてここではっきりと御霊ご自身と私たちの霊とを区別して

書かれてあるのです

私たちの霊は神の御霊によって再生された、新しくされた

新しい命を頂いたという事を聖書ははっきりと記しています

私たちは神の御霊によって教えられた言葉を用いなければ

御霊の事、神の事を解き明かす事は出来ないのですね

2-14 この生まれながらの人間というのは

まだ主の救いに与っていない人と解釈する事が多いですが

自分の知性、あるいは感情を大切に生きている人という意味が

ありますが、魂の人は神の御霊に属する事を受け入れないという事です

これは新しくされた人であっても

もし、その人が霊によって生きるのではなく

魂によって生きるのなら神の御霊を受け入れる事が出来ない

わきまえる事が出来ない人だと言っているのです


学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-08-13 | 00:20

コリント第一 2-11   3-9

今回は三種類の信者というテーマで学んでみましょう

キリスト者には三種類の信者がいると思います。

2-14 生まれながらの人間

2-15 御霊を受けている人間

3-1 御霊の属する人間、肉に属する人間

14節の生まれながらの人間という言葉は色々な聖書を読むと

まだ救われていなく、主イエス様を救い主として

受け入れていない人という意味で訳されている事が多いですが

ギリシャ語に忠実に訳されたもを見ますと

生まれながらの人間とは魂の人という意味になるそうです

2-15,あるいは3-1  御霊に属する人間とは

霊の人と訳するのが忠実な訳だと思います

3-1 の肉に属する人とは肉の人という意味になります

私たちは霊と魂と体によって構成されていると

テサロニケ第一 5-23に記されています

人間の存在は霊、魂、体、この三つからなります

3種類の信者とは、ある人は魂に重きを置いて過ごし

ある人は霊の働きに重きを置いて過ごし、

一方で肉の働きに流されて信仰生活を送る人もいます

この箇所はその事を言っています

2-11 今回の学びの前提になると思いますが、

私たち人間の霊と神の御霊とは別のものだという事ですね

この事を正しく理解する事が私たちの信仰生活には

必要であると覚えるべきです

2-12 私たちは神の御霊を受けたと記されています

私たちは神の霊、命の霊を自分の内に属する物となったという事です

それによって私たちは新しく生まれる事が出来たのです

死んでいた私たちの霊が再び生きるようになったのです

私たちの霊が死んでいたとはどういう状態だったのでしょうか

私たちが悪魔の誘惑に負けて神のことばを退けた時に

私たちの霊は死んでしまいました

その霊的な死とはウォッチマン・ニーの言葉を借りると

神との交わりを失った状態だと言います

私たちの霊が神と交わる事が出来なくなっている、これが

霊的な死という事ですね

例えば肉体の死について考えてみると理解しやすいでしょう

私たちが生きている状態とは周りにある酸素を体内に取り入れ

体内にあるに参加酸素を排出するという意味で

私たちは下界と交わりを持っているという事で

この状態を生きていると言い、それを失った時に死と言います

肉体的な死とは外界との交わりを失った状態です

しかし、私たちが主の憐れみによって悔い改めに導かれ

主イエス様を自分の救い主として信じ受け入れた時に

神の霊が私達の内に宿るようになったのだと言います

そしてその神の霊は死んでいた私たちを再び生かして下さった

結果として私たちは神との交わりを回復したという事です

その意味で私達の霊は今、新しく生まれた命を持った状態にあります



学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-08-04 | 00:20

人間の知恵に支えられるとは魂によって支えられるという事

もし私たちが魂の活動を許すと霊の働く余地を失う事となる

ピりピ書、3-4~11

パウロは様々な人間的は素晴らしいものを自分にとっては

損だと思うようになったと言うのは理解が出来るのではないでしょうか

私はキリストの復活に達したい、これは新しい命によって

生きるものとなりたいという意味です

人間的には素晴らしいものを沢山持っていたパウロですが

それがもし、霊の領域を侵害するなら

人間的素晴らしさは損となってしまうのだという見解です

魂の働きが霊を圧迫してしまう、例えばウオッチマン・ニーは

「魂の働きは霊を抑圧してしまう」と言っています

ですから人間的に素晴らしいものを沢山持っていたパウロが

もし魂の働きが霊を抑圧してしまうのなら

それが自分にとって損となるのだと言ったのですね

第一コリント 9-27

人間の知恵によって福音を宣べ伝える事も出来るけれども

その事が神の御心にかなう歩みをしているとは言えない

神の命によって新しくされた霊によって歩んでいるのか

あるいは魂の働きに重きを置いて自分の知恵によって

福音を宣べ伝えているのかは

待ったく異なる事なのだと2章の前半で述べています

学び聞き取り コリント第一 Ⅳ

2020-08-02 | 00:20

2-10

神が私たちのために備えて下さったのは何なのか

それを人間の知恵では理解出来ませんが、私たちの内にある

御霊がその事を私たちに明らかにして下さるとあります

御霊はすべての事を探り神の深みにまで及ばれる

神の事は御霊でしか知る事が出来ません

私たちの信仰が神の力に支えられるのは私たち自身が

神の権威に服する事であり更に御霊によって生きる事です

私たちはこのようにし成長した信仰者として

固い食物を食べていく事を意識していかなければなりません

へブル書 5ー

私たちは信仰生活の経験を通して良いものと悪いものとを

見分ける感覚を日々訓練していかなければなりません

いつまでも赤ちゃんのように乳だけ飲んでいては駄目だと

聖書ははっきりと言われていますね

隠された奥義としての神の知恵を私たちは

内なる御霊によって日々成長した大人として知る事を

求められているのです

又、成長した信仰者として歩む事も求められているのです

学び聞き取り コリント第一 Ⅳ

2020-08-01 | 00:20

マタイ 27-39~

印を要求したユダヤ人、あるいは知恵を求めた異邦人の結論です

「お前が本当に神なら自分で自分を救ってみろ」

これはある意味理屈の通った考え方ですね

しかし、ここに人間の知恵の限界があったという事です

が、私たちの神は人間の知恵の限界、人間の愚かさを通して

ご自分の計画を実現できるお方であるという事です

2-9

人間は目に見えるもの、耳に聞こえるもの、人間の心で想像できるものには

限界があるのですね

しかし、神の知恵を人間の限界をはるかに超えている

この2-9はイザヤ書の64-4 65-17からの引用であると書かれています

ですから私たちは本当に恐れを持って神を崇めなければなりません