学び聞き取り コリント第一 Ⅵ

2020-09-30 | 00:20

エペソ書 2-20~22
私たち個人個人がイエス・キリストを土台として家を建て上げる必要がある
と同時にここでパウロはキリスト者が全体として
一つの建物を建て上げていく必要について述べています
組み合わされた建物の全体が成長して
主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって
あなたがたも共に建てられ御霊によって神の御住まいとなるのです
と言われています
すなわち私たちは教会を構成する者として一人一人が
金、銀、宝石で家を建てる必要があると同時に
兄弟姉妹の全体として一つの建物を建て上げている事も
求められているのです

学び聞き取り コリント第一 Ⅵ

2020-09-29 | 00:20

コリント第二 3-18
主と同じ姿に変えられていく、これは御霊なる主の働きによります
主によって変えられた者として主の訓練を受けて変えられた者として
私たちはイエス・キリストの土台の上に家を建てていかなければならない
魂や肉の働きは主の再臨の時に神の炎に耐える事が出来ません
確かに私たちは火の中をくぐるようにして救われるかも知れませんが
私たちの働きは神の炎に耐えられないとここでは言われています
例えば教会における熱心な奉仕、聖書研究、祈り、献金
これらはこの世では素晴らしいと評価されるかもしれませんが
魂や肉の働きである可能性があるのです、これを外から見分ける事は
中々難しいのですが私たちが確かに主の訓練を受けているなら
私たちが主に捧げる奉仕、祈り、献金、
そういったものは主によって清めて頂けるのだと思います
そしてそれはいつまでも残るものとなるでしょう
問題は私たちが主の訓練をどのような態度で受けるのかという事です
もし正しい態度で受けるのなら私たちも又
金、銀、宝石でイエス・キリストの土台の上に家を建てる事が
出来るのではないでしょうか

学び聞き取り コリント第一 Ⅵ

2020-09-28 | 00:20

ローマ書 12-2
心の一新によって自分を変えなさい、と書かれてありますが
どうすれば私たちは変えられるのでしょうか
それは私たちの努力ではなく主の訓練によるのだと言う事です
主の訓練を受ける事によって先ほどのイザヤ書にあるように
悩みの中で精錬される必要があると言うのです
宝石職人によて磨かれなければならないという事です
私たちが生まれながらどんなに素晴らしい賜物を頂いていたとしても
それをイエス様の土台の上に立て上げる事は出来ません
生まれながらの特徴がどんなに増幅したとしても
それは主の目からご覧になると木、草、藁で家を建てるのと同じなのです
私たちは主の訓練によって作り変えられなければなりません
心の一新によって自分を変えられなければなりません
コリント第二 3-18
主と同じ姿に変えられる、これは御霊なる主の働きによるのです
主によって主の訓練を受けて変えられた者として
私たちはイエス・キリストの土台の上に家を建てていく必要があるのです

学び聞き取り コリント第一 Ⅵ

2020-09-27 | 00:20

コリント第一 3-12~15
ここで求められているのは私たちが金、銀、宝石で家を建てる事です
旧約のヨシュア記によると金、銀、宝石は神の特徴を現すものです
神の清さ、栄光を金、銀、宝石として現わしています
黙示録21章でも、すなわち金、銀、宝石は神ご自身の清さ、栄光
永遠なるものという風に書かれてあります
そして金や銀は精錬されなければならないものです
あるいは宝石は熟練された職人によって磨かれなければなりません
精錬されたり磨かれたりしなければならないというのは
私たちが神からの訓練を受けなければならないと言う事です
私たちが神の訓練を正しく受けなければ
イエス・キリストの土台の上に御心にかなう建物は建てられないのです
イザヤ書 48-10   ペテロ第一 1-7
木や草や藁とはどういう意味でしょうか
植物は土の上で成長しますが自然に生え放っておいても伸びていきます
木、草、藁とはここでは生まれながらの人
魂の人、肉的な人を象徴しているのではないでしょうか
これは私たちの性質で自然に伸びていく色々なものの象徴です
もし、私たちがイエス様の土台の上に魂、肉から生まれたもので
建物を建てたとしても主の日に耐える事の出来ない物
簡単に燃えてしまう者だと言う事です
見た目がどうであっても主の日に耐えられない物
永遠に残るような物ではないという事です


学び聞き取り コリント第一 Ⅵ

2020-09-26 | 00:20


二番目にイエス・キリストについて考えてみたいと思います
コリント第一 3-10,11
パウロはここで自分を賢い建築家のように土台を据えたといいました
これは勿論、神の恵みによってという言葉によりますが
賢い建築家のように土台を据えたという意味は
イエス・キリストという土台をあなたがたの中に据えたという事です
他の人、アポロを含め他の主の弟子たちの上に家を建ててと言っています
私たちもパウロを初め信仰の先達、沢山の信仰の先輩たちによって
貴重な土台を据えて頂いた者なのではないでしょうか
そして、その土台の上にどのように家を建てていくのか
私たち一人一人の責任だと言っています
建物を建てるうえで土台が最も大切なものである事に異存はないでしょう
もし土台、基礎工事がいい加減であれば
その上にどんな立派な建物を建てても崩れてしまいます
そして土台の強さによって、その上にどんな建物を建てられるのかが決まります
一般の家庭の土台と高層ビルの土台では当然規模が違います
もし私たちがイエス・キリストを土台とするなら
その上にならどんな建物でも建てる事が出来るのです
そしてどんな激しい火災が起こっても土台は残ります
私たち人間の働きに関わらず土台は燃える事なく残ります
イエス・キリストという土台、これを私たちは意識する事が大事です
そして、その土台に相応しい家を建てる事が求められています
御言葉を土台として歩むという言い方をしますが同じ意味ですね
イエス様を土台として歩む、イエス様を私達の基礎として歩む
これが御言葉を土台として歩むという事です
私たちが救われるという事は言葉を変えて言うなら
イエス様を土台として持つ事、御言葉を土台とする事ではないでしょうか
イエス様という土台の上にどのような建物を建てていくのか
これは毎日の私たちに与えられた課題なのではないでしょうか

学び聞き取り コリント第一 Ⅵ

2020-09-25 | 00:20

今日からはコリント第一 3-7~23 三位一体の神について学びます
ここに大切なものとして三つ書かれてあります
第一は7節、大切なのは成長させて下さる神
第二は11節、その土台とはイエス・キリスト
第三は16節、あなた方は神の神殿であり神の御霊が宿っているのです
神とイエス・キリストと御霊  この三つがテーマです
3-7,8 ここでの植える者はパウロで、水を注ぐ者はアポロですが
本当に大切なのは成長させて下さる神だと言う事です
神の扱うのは私たちの命です
私たち人間がどんなに努力をしても、又、現代の科学技術をもっても
命を作りだす事は出来ていません。これは完全に神の領域なのです
そして 3-9 私たちは神の協力者であり、
あなたがたは神の畑、神の建物なのだと言っています
そこでキリストの命を成長させ豊かな実を結ぶ事が求められています
三つの福音書に書かれてある事ですが
良い畑に蒔かれた種の例えが出て来ます
御言葉を聞いてそれを悟る人、これは前回の学びのように
新しく生まれた人だけに許された特権です
御言葉を聞いて悟るためには私たちの内に蘇らされた霊が必要です
私たちがそのように良く耕された畑として神の御言葉の種を受け入れ
豊かに実を結ぶ事が神の御心です
その時に大切なのは種を蒔く人や水を注ぐ人ではなく
成長させて下さる命そのものである神であるという事です
神ご自身が私たちを成長させて下さる、これが大切な第一の点です


学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-09-24 | 00:20

私たちが自分自身を振り返って、自分は肉に属しているのではないだろうか
あるいは魂の人の状態に留まっているのではないかと
そのように気付いたとすれば、それは素晴らしい事ではないでしょうか。
ローマ書 12-1~2
霊的な礼拝とは一体何でしょう。それは私たちの体を神に受け入れられる
清い生きた供え物として捧げるという事ではないでしょうか
パウロは別の箇所で、私はキリストと共に十字架に付けられたと言っています
私たちの体はもう既にキリストと共に十字架に付けられた
ですから私たちは新しくされた霊によって
新しい命によって神の力によって生きて行く事を求められているのです
この世と調子を合わるな、外側の刺激を求めるなという事です
そうではなくて、心の一新によって自分を変えなさい
内側から清められることを求めなさいとパウロは言っているのです
ローマ書 12-3~21は
私たちが自分を吟味するための大切な御言葉が書かれています
自分が霊によって歩んでいるのか、魂によってなのか
それを峻別するために具体的な基準となる事が書かれています
私たちがキリストの器官として必要な働きをしているのか
勤勉に主に仕えているのか、祈りを疎かにしていないか
心を一つにして歩んでいるのかどうか、
そういう事がローマ書12-3以下に書かれていますが
もし、このような御言葉に照らして私たちがそうではないなら
私たちは自分の魂に添えて知性、感情によって歩んでいると
言えるのではないでしょうか
ヨハネ第一、1-5  
ローマ書12章に照らして自分の中に罪があると気付いた時には
それを正直に主に告白する必要があるという事です
私たちが肉の人、魂の人として歩いていたのだと
正直に告白するなら主は私たちを正しい方向へ導いて下さる
霊の人として歩むように私たちを内側から清めて下さる
この事を聖書は教えてくれているのだと思います。

学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-09-03 | 00:20

私たちは新しくされた霊を用いて神の御言葉に耳を傾ける、祈る者です
肉の働きを放置している結果として、分裂分派が起きてしまう
その事を主はとても悲しまれるでしょう
3-6  人間に出来る事は限定されています
種を蒔く、水を注ぐ、神のしもべとしてそれが出来るし、求められています
しかし成長させるのは神であるという事です
そして次回で学びますが、私たちは神の畑であるという事
神によって耕された地でありその中でキリストの命を成長させていくべきです
コリントの信者たちは植える人、見ずを注ぐ人を高く評価しました
本当の意味で成長させて下さるお方を無視してしまいました
結果的に彼らは真の命であるキリストの中での成長がなかたのです
いつまでも乳飲み子状態でした
コリントの信者はギリシャ哲学の中で知識に重きを置いて
大事なイエスの真の命については無知ですから
パウロは彼らの意識を知識から命へと転換させる必要がありました
これは魂の問題から霊の問題へ彼らの目を向ける事を意味していました
そしてこの事は私たちにも求められているのです
私たちは聖書の様々な知識を蓄えて人間の知恵によって
信仰を支えようとする傾向があると思います
大事なのはそうではなく、私たちが新しくされた霊によって
真の神である主と日々交わる事をしていかなければ
私たちの信仰は支えられないものなのです
魂によってではなく霊によって歩いて行かなければ
道を誤ってしまう、私たちがどんなに自分の知識を蓄え
聖書に付いて精通したとしても本当の意味でも成長はないのです

学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-09-02 | 00:20

肉の特徴については、ガラテヤ書5-19から21までに記されていますが
自分にとって何が心地良いのか、自分の肉にとって何が心地良いのか
これを私たちは本能的に知っています
それを追い求める性質を持っている事も知っています
コリントの信者たちは福音に接して神のすべての賜物を受けたと
1-7に記されていて、パウロはそれをこのように言いました
そのすべての賜物を受けたのにも関わらずイエス様の命において
成長する事がなかったのだと言います
これがコリントの信者の特徴でした
むしろキリストにある幼子のままであり彼らは非常に
肉的であったと指摘しています
3-2、固い食物を与えなかった、何故なら彼らはまだ歯が生えそろっていない
成長していなかったと言っています
乳を与えるというのは、その命を養うという事です
人を養う事とその人を正しく教えるという事は違います
生まれた赤ちゃんには母乳を与えて命を養います
歯が生え揃い出して初めて言葉を覚え教えられます
彼らの状態がどのようなものであったかは
3-3~5に書かれてありますが党派心、分裂、分派、は肉の特徴です
自分があるグループに属しているというのは
実は私たちの肉にとっては心地良いものでしょう
安心感を持つ事が出来ます、結果として教会の中に分裂、分派が
起こってしまう事になります
そこに属する事に安心してしまう、これは肉の働きです
しかし、本当に大切な事は私たちの神から回復させて頂いた霊を
用いて神と交わる事です
必要な事はわずかです、いいえ一つだけですとイエス様は言われました。

学び聞き取り コリント第一 Ⅴ

2020-09-01 | 00:20

2-15

御霊を受けている人、すなわち霊の人とは自分の魂を否み

魂によっては生きず神の霊によって再生された霊によって

自分の存在を支配させている人の事を指すのです

神によって新しくされた霊に自分の全存在を支配させる

以前は魂が自分を支配していたけれどこれからは

新しくされた霊に自分を支配させる

これを霊の人と呼ぶのです

私たちはこのように新しくされた霊によって判断できるようになりました

2-16

私たちはイエス様の命だけではなくイエス様の思いも

共有しているという事をこの箇所は言っています

霊的に新しくされた私たちは今イエス様と

有機的に一つとされたという事ですから

イエス様の持っている機能を私たちは共有している訳です

なので、私たちはイエス様の思い、イエス様のこころをも

共有している事になります

これはイエス様が何を考え何を知りこれから何をなそうとされているのか

その事を私たちは知る事が出来るという事です

これは何という素晴らしい事実でしょうか

3-1~

ここからは肉の人について書かれています

これはコリントにいる兄弟姉妹に対する警告であると同時に

私たちに対する警告でもあります

ここでも御霊に属する人を霊の人と言いますが、

肉に属する人を肉の人と言う言い方をしています

霊の人が神の霊と一体となり新しくされた霊によって支配され

管理され方向づけられ導かれるのであるのに対して

肉の人は肉の欲望によって導かれる欲望によって支配され

管理され方向づけられる人だと言って良いでしょう

主の方法は私たちを内側から清めるというのですが

神の働きは霊によって体を清めようとするのです

一方、悪魔の働きは常に外側から来るものです

私たちの目に麗しいもの、これが私たちの躓きの原因となります

私たちはいつも外側からの刺激を求めるのですが

自分たちにとって心地良いものを求める

これが外側から私たちを誘う、これが悪魔の方法だと言っています