荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 2月18日

2020-02-19 | 00:20

愛をもって互いに仕えなさい。           ガラテヤ 5-13

  律法主義には高ぶりがつきものです。
律法によって生きようとするなら、私は意志の力に頼らなければなりません。
それはしばしば自分の性向に反することもあります。
こうした努力は、私のようには頑張らない人々、
あるいはやってもだめだった人々に対する軽蔑や哀れみの気持ちを
間違いなく私の中にひきおこします。


私の非常な熱心さによって私は優越感を持つようになり、
そうした人々に苦味を持つようになります。
自分の気持ちを隠していたとしても、自分より霊的に劣っていると思っている人々とは
祈るときでさえずいぶん距離を置いていることにすぐに気づくようになります。
律法によって生きることの結末はこれです。

しかし神はご自身の聖徒を決まりきった鋳型に押し込むような小さな方ではありません。
人々が私とは一致できなくても、主の死とは一つです。それにはまた同様な根拠があります。
つまりりんごの苦味は完熟の印ではないということです。
熟したりんごは甘いものです。
もし神がほんとうに私のうちに何かを実らせてくださっているなら、
私とはぜんぜん異なる経歴の聖徒たちと協力することに
困難を一つも感じはしないでしょう。

Comment

Post a comment

Secret