荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 3月17日

2020-03-18 | 00:20

 昨夜、私の主で、私の仕えている神のみ使いが、私の前に立って、    

       使徒行伝 27-23


 私はもはや私のものではなく、主のものであることを最初に発見したとき、
それはもう大事件でした。ポケットに入れたお金が私のものなら、
それをどうしよ うと私の勝手です。

しかしそれがもし別の人から預かっているものだとしたら、
自分の気に入ったものをそのお金で買うわけにはいきませんし、
わざわざ使おう と言う気持ちにもならないでしょう。

自分たちの時間、お金、才能は実は主のも のであって
自分たちのものではないという認識のもとに、
それらを使いたくても あえて使わないでいるような者は
私たちの中で何人くらいいるでしょうか。

私たち自身が別の人に属している者だという強い認識のもとで、
一円たりとも無駄に しない、あるいは一時間たりとも時間を浪費しない、
知力あるいは労力を一切無 駄にしないという意識を持つ者が
私たちのうちで何人いるでしょうか。

私たちは 神に対して生きている者です。
自分に対して生きてはいません。本当のキリスト 者の生活はここから始まるのです。

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