荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 3月23日

2020-03-24 | 00:20

生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
                                                 ローマ  14-8


キリスト者としての技術的な側面を強調するのは絶対に避けるべきです。
そう ではなく私たちはキリストのものであるという基本的な事実を
いつでも強調する べきなのです。
そして私たちのなすことは全て、主に対してなされるのです。

私 たちは「主に対して」生き、「主に対して」死にます。
単に私たちの判断や行動 のゆえに私たちと意見が衝突する人々を
無理に説得しようとしてもだめです。

私たちの一つの目標は、彼らをより主の近くに導くことでなければなりません。
で すから私たちは表面的な正しさのために働くのでも、
何か良いことを共有するた めに働くのでもありません。
神ご自身とのより深い交わりのために働くのです。

私と全然違った考え方をする兄弟がいたとします。
その人と私のしていることが、 神に対して為されているかが
私の一番の関心事となりますように。

そこに私たち の目標が置かれているならば、
たとえ表面的には異なるものがあったとしても、
私たちの間は全て良好と言っていいのです。

イエス・キリストの主権はキリスト 者であることの中心点です。
もしイエス・キリストがあなたの主であり、
イエス・ キリストが私の主であるならば--実際その通りなのですが--、
そのとき主ご 自身が、ほかのことも調整してくださるのです。

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