荒野の食卓、ウォッチマン・ニー、4月2日

2020-04-03 | 00:20

神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、
人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。 ピリピ  3-3


割礼はユダヤ人をそうでない人々から識別する一つの印でした。
これに呼応す る人々の前でのキリスト者の印とはなんでしょうか。
ほどこしでしょうか。知恵 でしょうか。誠実でしょうか。熱心でしょうか。
ほかの人々だってこうした印を 持っています。
その中には神の民に固有のものはどれひとつとしてありません。

しかしたった一つだけ固有のものがあるのです。それは当を得た自信の欠如です。
肉への信頼が滅ぼし尽くされ、神に回帰していることこそ、
神ご自身の民を識別 する印なのです。
神の御心はよくわかっていると、確信に満ちたキリスト者たち と知り合いになりましたが、
そういう彼らは一瞬たりとも自分たちが間違ってい るかもしれない
という認識は持たないでしょう。
しかし私はあなたに、彼らには この上もなく大切な霊的「割礼」、
すなわち「肉に頼らない」という印がまだ見 えていないと申し上げなければなりません。
霊的な人の歩みは、いつでも自分は 間違っているかもしれないと感じ、
へりくだっています。
そのような人は、聖書 外典の至福の教え、
「自分の誤りを悟るものは幸いです」に喜んで賛意を示すの です。

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