荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 4月9日

2020-04-10 | 00:20

信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約
束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。・・・
「イサクから出るものがあなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、
                                             ヘブル  11-17以下


アブラハムが言ったであろうことを私たちが推察することは可能です。
アブラ ハムは、イシュマエルを追い出すようにとの命令は理解できたものの、
今度の新 しい命令は追い出すどころかイサクをいけにえとして捧げることであり、
極めて 理解に苦しむと主張したかもしれませんね。

アブラハムの見当違いの努力の結果 がイシュマエルでした。
ですからアブラハムはイシュマエルが家から追い出され るという決定を尊重するのです。
しかしイサクは。イサクは違うのです。
イサク は、ただ単に息子へのアブラハムの父性愛を満足させるために与えられたのでは なく、
神が誓われたあらゆる御目的を成就するための手段となるべく、
完全に神 から来た者でした。

イサクが除かれでもしたら、神には何がおできになるという のでしょうか。
しかしアブラハムはことを論じないように訓練されていました。
彼はまったく 反論しませんでした。いけにえについて話すことさえしませんでした。
彼はただ モリヤの山に行って礼拝するのだと言っただけです。
それこそ真の礼拝でした。

それは、私たちにくださった神の賜物を全て神にお返しするのです。
私たちの豊 かな経験の全ても、神にある私たちの希望の全ても。
神ご自身の内にはかりしれ ない喜びを見出すために。

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