荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 5月21日

2020-05-23 | 00:20


 私たち生きているものは、イエスのために絶えず死に渡されていますが、

それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において

明らかに示されるためなのです。 II コリント 4-11

 

これは何を意味するのでしょう。

私はただ神に頼っているときにだけ行動しよう、という意味です。

私は自分の内に満足すべきものが見い出せないでしょう。 私は一歩も進めないでしょう。

なぜならそのような力しか遺伝的に引き継いでいないからです。

禁断の実によってアダムは行動する力の相続者となりました。

しかしその力はまさにサタンの手に操られたのです。

あなたが主を知るようになるときにその力は失われます。

あなたはいま、別のいのちによって生きています。

そして主からあらゆるものを引き出しているのです。  

私の親友達よ、私たちは自分自身を適切に理解していると私は考えています。

しかしほとんどの場合、自分自身のことで本当に恐れおののいていません。

私たちは恭しく神に申し上げるかもしれません。

「もし神がそれを望んでおられないなら、私はそれをすることができません」。

しかし現実には私たちがそれを自分でやってのけてしまうのは間違いないところです。

あまりにもしばしば自分が 原因になって私たちは決定し、行動し、

神から離れた力を持ってきたことでしょ う。

私たちが明らかにしているキリストはあまりにも小さいのです。

なぜなら自分自身の内側に私たちはあまりにも大きく成長してしまったからです。

神よ、 私たちをお赦しください。

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