信仰生活は、私たちがそれまでの歩みを悔い改めて

福音を信じる事から始まります。

日本においては、主イエス様を信じるという事は回りと違う事を

する訳ですから、最初のハードルが高いものです

このハードルを乗り越えるのは貴重な事です

コリント第二 5-17

私たちが主イエス様を信じ、救われたなら、その人には助け主、すなわち

聖霊が与えられます。その主の霊が私たちを新しくして下さる。

これは素晴らしい事実です。これを改心と呼びます。

この改心は私たちの決心によりますが

しかし、この後にキリスト者としてどう歩むのかは毎日の問題であり、

毎日、私たちは色々な事で試みを受けます。

聖書には人を改心に導く御言葉よりも

改心したキリスト者を正しく導く御言葉の方が圧倒的に多いです。

悔い改めて福音を信じれば主は必ず救って下さり神の家族として下さり

私たちを天国へと導いて下さいます。

しかし天国に至る過程は人によって様々ですね

コリント第一 3-10~15

私たちは火をくぐるようにしてやっと救われるのか、あるいは主に

よくやった忠実なしもべだと言って頂けるのでしょうか

勿論イエス様にお会いした時によくやった忠実なしもべだと

言って頂きたいと思うわけです。

そのために私たちは救われた後、主の御心にかなう歩みを重ねたいと思うのです

パウロは第二回の伝道旅行でコリントを訪れます。

主イエス様が復活し昇天された事を目撃した弟子たちは

助け主、聖霊を受けました。

そして、主イエス様の復活をエルサレムで証言するのですが、

当時のユダヤ教の指導者たちから激しい迫害を受ける事になります

その迫害する側にはパウロもいたのです

ステパノの殉教も迫害のピークでしたがその場にはパウロ(サウロ)もいました

その迫害は悲劇的ではあるのですが

主はその事をもお用いになる事が出来ます

その迫害を通して二つの重要な事が起きました。一つはパウロ自身の改心です、

迫害する側のパウロが主に出会い改心します、

二つ目は迫害を逃れるために各地へ散って行った弟子たちが

主の復活の証言者として各地で福音を宣べ伝えるようになりました

そして多くの異邦人が結果的にイエス様を信じるようになったのです

後に、救われたユダヤ人たちはモーセの律法に従って

割礼を受ける事を条件に出してきますが

エルサレムに戻ったパウロは割礼の有る無しは

救われる条件ではないという認識を示し

弟子たちの共通認識を土台とした教会が発展していきます






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