学び聞き取り コリント第一 Ⅱ

2020-07-09 | 00:20

十字架のことばとは自己否定のことば

滅びに至る人々にとって愚かな言葉だと言う当時はその通りだったでしょう

ギリシャの人々にとっては自己追及、自己実現を追い求めていたわけですから

自己否定のことば、十字架のことばを聞くと

この人は何と愚かな事を言うのだろうという反応だったでしょう

救いを受ける私たちにとっては神の力です

自己否定というのは私たちが御言葉を読む時に、あるいは日常生活で

もっと言えば信仰生活を送るうえでも大きな原則となるでしょう

自己否定のない聖書解釈、あるいは自己否定のない信仰生活は

知恵を深める事があるかも知れませんが

主が望まれている事ではありません

私達がどんなに聖書について詳しく知るようになったとしても

そこには確固たる自我があるのなら私たちは本当の意味で

御言葉の意味を知る、あるいは主が喜ばれる信仰生活を

送る事も出来ないと言っても過言ではないでしょう

ガラテヤ書 2-20

私はキリストと共に十字架に付けられたというパウロの告白は

パウロの自己否定を言い表した言葉だろうと思います

もはや私が生きているのではなくキリストが私の内に生きておられる

この言葉でパウロは自分自身を否定し己の内に住まわれる主イエス様の

命によって自分は生きているのだという告白をしています

この自己否定こそギリシャの知恵を追及する人々にとっては

愚かの極致だったことでしょう

自分を否定したら自分はどうなってしまうのだろうか

これはギリシャ人だけではなく私たちも信仰をもったら自分はどうなるのかと

自分が自分でなくなる恐怖を多く人は持つでしょう

その恐怖が信仰を持つ事への妨げにもなるのではないでしょうか

自分を否定する事は想像する出来ない事です

しかし、私たちがその壁をどうやって乗り越えられるのかと言うと

おそらく自分を言う者をドンドン追及していくと解決出来ない事に突き当たる

自分の中にはどうしようもない罪がある

あるいは死を目前にしたなら人間は無力であるという現実

このような事に直面した時に、自分以外の大きなものに信頼する

そうするしか希望がないのだと気付くのではないでしょうか

その時に初めて自分自身を主に明け渡す事を知るようになるのではないか

私たちは改心を経験して、信仰生活を始めますが

いつの間にか又古い自分がよみがえり

せっかく頂いた新しい命を覆ってしまう、そのような危険を経験します


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