学び聞き取り コリント第一 Ⅲ

2020-07-20 | 00:20

当時の様子が伺える 使徒の働き 17-32

アテネでの出来事が書かれてあり、アテネはコリントの近くですから

コリントも同じような状況だったと思われます

使者の復活の事を聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は聞く耳を持たなかった

全然信じる気持ちがない事が分かります

こんな事があり得る訳がないという態度です

使徒の働き 17-16~33

人々は使者の復活を受け入れる事が出来ませんでした

彼らにとっては耳新し事を聞きたい、自分たちがまだ知らない知識を

得たい、身につけたいと思っていたわけです

イエス様が真の神であるという事を受け入れられずにいます

おそらくパウロが語る、悔い改めや神の裁きを言う事を

快く思わなかった事でしょう

自分の生き方を変えるという事、自己追及を放棄して

神の救いを受け入れるというのは本当に大きなハードルだったでしょう

それは私たちが自分自身の事を考えてみれば良く分かります

宣教のことばの愚かさ、これはイエス様が蘇った事を指していますが

イエス様が神であるという事も宣教のことばの愚かさとされたでしょう

マタイ伝 26-62~66

イエス様が裁判を受けいている場面ですが

イエス様は自分に対しての不利な証言に対しては反論はしていませんが

自分は神の子であるという事は堂々と語った事が分かります

これは人間の常識から考えると愚かな事です

救いを受ける私たちにとってイエス様が神の子であるという事実は

私たちにとってはまさに救いであり力であるのですが

滅びに至る人たちにとっては妨げる材料となってしまうのです

神への冒涜だ、イエス様のことばを捕らえて

イエス様が十字架にかけられる事となるのです

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