学び聞き取り コリント第一 八

2020-10-24 | 00:20

私たちの教会は人を裁かない、どんな人でも受け入れる愛のある教会だと
自分たちの寛容性を誇っていた可能性もあります
そしてパウロのように厳しい事を言う人達に向かって
何故あなたたちは愛のない態度を取るのか、人を裁くのかと
イエス様だって裁いてはいけないと言っているではないかと
反論していたかも知れません
そしてこの事は現代の教会でも起こり得る問題です
教会内の罪に対して私たちはどのような態度を取るべきなのか
これはとても難しい問題でしょう
この事に関して旧約聖書から考えてみたいと思います
サムエル第二 12-10~13
ダビデと家族にも似たような罪を犯した事が書かれています
神の人ダビデとよく言われますが、このダビデと家族にも
大きな罪が入り込んでしまいました
それに対してダビデは必ずしもはっきりとした態度を取る事が出来ませんでした
私たちはこの事を見ると聖書の御言葉を実践するのは
決して簡単な事ではないのだと改めて思わされます
ダビデにアビシャロムという息子がいましたが
彼の犯した罪をダビデはきちんと裁く事が出来ませんでした
結果的に神ご自身がアビシャロムをの事を裁かざるを得なかったのです
ダビデ自身は罪を指摘された時に素直に悔い改めそれゆえにダビデの罪は赦されましたが、
同時にダビデは自分の蒔いた種を刈り取らなければなりませんでした
ダビデの妻たちを息子アビシャロムが寝取るという恐ろしい事となりました
サムエル記第二 16-21,22      18-9~15
このような事があってもダビデは息子を守ろうとします
アビシャロムは長い髪を誇っていましたがそれが命取りとなりました
ダビデが早い段階でアビシャロムを正しく裁いていたなら
イスラエルの国も分裂する事はなかったのではないでしょうか
ダビデが息子を溺愛するあまり正しい判断が出来ませんでした
最初にダビデはアビシャロムを裁く機会もあったのです
それはアビシャロムが兄アムロムを殺した出来事の時に
裁く事が出来たはずなのに中途半端な形で受け入れてしまいました
結果として彼は増長し父ダビデに反抗して
自分がイスラエルを治めようという野望を持ってしまったのです



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