クリスマスと十字架

2019-12-24 | 15:58

クリスマスおめでとうございます。

12月になると、街にはジングルベルの曲が流れ、
日本でもクリスマスは、年中行事としてすっかり定着しています。

このクリスマスが、キリストの誕生日のお祝いだという事は
あなたも御存じでしょう
しかし、なぜキリストの誕生日をクリスマスというのか、ご存知でしょうか。

実は、私も長いことなぜクリスマスというのか、考えもせず
「クリスマス、クリスマス」と言っていました。
そして、ある時、ああそうかと気がついたのです。

さて、このクリスマス(CHRISTMAS)という文字からマス(MAS)を取ると
英語でクライスト(CHRISY),つまりキリストが残ります。

時に「X’MAS」と書きますが、
この「X'」はギリシャ語のキリストの頭文字ですから、
クリスマスは「キリスト」と「マス」がくっついた文字なのです。

ではクリスマスの「マス」とは何でしょう
誕生日の事でしょうか、いいえ、そうではありまぜん。

レオナルドダヴィンチという偉い画家が描いた
キリストの「最後の晩餐」という大壁画がミラノの修道院にあります。
壁画中央の長い机の真ん中に、キリストがこちらを向いて座り
その左右に12人の弟子がの表情でキリストを見つめています。

それはキリストが十字架で殺される前夜の食卓の光景で
「君たちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」と衝撃的な言葉が
キリストの口から洩れたその瞬間を描いています。

聖書によると、そのあとキリストは食卓のパンを二つに裂き
「さあ、食べるんだ」と差し出し、またぶどう酒の盃を
「みな、この盃から飲め」と回し飲みさせています。

「マス」というのはこのパンとぶどう酒を飲み食いすることなのです
キリストは明日に迫った死を前にして
弟子たちの目と、舌と、手へ、焼き付くように十字架のシンボルを
教えられたのです。

パンは十字架で殺されるキリストのからだを、
ぶどう酒は十字架で流されるキリストの血を意味しました。

それでキリスト教会では2000年間、
キリストの十字架の死を忘れないように、みなが死んだキリストを
思いだすのです、これが「マス」です

カトリック教会では、この聖餐と呼ばれるパンとぶどう者を受けることを
「ミーサ」と呼びますが
ラテン語では「マス」と言うそうです。これがあのクリスマスの「マス」です。

ですからクリスマスとは、キリスト・ミーサのことで、
キリストの誕生を祝う聖晩餐のことだったのです。

だとすると、昔からキリスト教会では、クリスマスにキリストの誕生を、
その死のシンボルである十字架とくっつけて祝ってきたという事になります。
そうです。
キリストの誕生を祝うのは、キリストの十字架あってのことなのです。

その人の誕生を、その人の死とくっつけて祝うのは
世界中でこのキリストただ一人ではないでしょうか

このキリストいうのは、救い主という意味です。
キリスト自身の名前はイエスです。
お母さんはマリヤ、お父さんはヨセフと言って大工さんでした。

このイエス様の誕生、つまりクリスマスの物語は
ぞくぞくするような不思議な事が次々へと起こります。
まず、出産に先立っては、天使がマリヤに現れ
「あなたは聖霊によって妊娠するでしょう」と受胎告知をしますし
主産まぎわの身重の頃、ローマ皇帝の命令で
人口調査のため故郷へ帰らなくてはならなくなり
100キロも旅をしてベツレヘムという田舎まちに来てみると
小さな村の旅館は全国から帰って来た人たちで一杯で
やっと、馬小屋に留めてもらう始末でした。

長旅に付かれたマリヤにその夜陣痛が起こり
ヨセフは生まれた赤ん坊を産湯で洗った後
布にくるみ、壁にかけてあった飼葉桶に寝かせます。

するとどうでしょう、その夜更けにどやどやと羊飼いたちが
天使お告げを聞いたと言ってやって来たのです
「キリスト(救い主)としてお生まれになった赤ん坊はこちらにいられますか」と
言いながら。

又、東のアラビア砂漠のかなたから、天文学を研究していた博士たちが
新星を発見して、
これはユダヤに新しい王がお生まれになったしるしだという結論に達し、
産まれたばかりのイエスを拝みに来たという記録も残されています。

しかし、キリストの誕生はその十字架の死ゆえに、よけい光を放つのです。
考えてもみてください。
ある人が死んで5年、10年、20年は家族や親しい人が覚えていても
100年、500年となると、もう歴史上の人物しか記憶されません。

そして例え1000年前の人が覚えられていても
その人の死を思い起こして、思わず泣くという事はありあません。
ところが、その人が死んで2000年になろうとしている今も、
イエスの十字架の死を思って涙を流す人が世界中に後を絶ちません
こんな人は世界中でイエスただひとりです。

聖書の中に、キリストのクリスマスの物語をしるしているのは
二つの福音書だけです。しかっもその二つがくい違っています。
マタイの福音書では、東から博士が来て、
イエス一家は出産後エジプトへ急いで逃避行しますが、
ルカの福音書では羊飼いが来て、ゆっくり宮参りをします。
しかし、大事なことはイエスの誕生の物語が
違っていて同じところがある点ではないでしょうか
例えば、二つの福音書とも、生まれた場所は同じベツレヘム
両親の名はいずれもヨセフとマリヤ
ひとしく星のきらめく夜中の出来事、そして貧しい場所での出産も同じ

しかも、その出産を知ったのは
都にいる王様や神官、官僚ではなく、真理を真剣に追及する外国人や
夜間労働者の羊飼いなど
コンパスの一つの円をエルサレムの神殿に立て、ぐるっと円周を書くと
その円周の外に立っているような人々でした。

ユダヤの宗教家は、外国人を救いの外においていましたし、
櫃しかいいは裁判の証人にもなれないほど
社会的地位は貶められていたからです

しかしそこには、驚きがあり、喜びがあり、礼拝があり、光が溢れています。
つまり、キリストの誕生は円周外への降誕だったのです
だからこど、驚きと喜びと光りがきついのです

「聖菓切る基督のこと何も知らず」  山口波津女

日本人はキリストの生まれたユダヤからは遠い島国に住んでいます
また、キリストの事などよく知りません

あの東の博士や、羊飼いと同じく円周外の存在なのです
ところがキリストは、いつもその円周外に降誕されるのです
自分はキリストとか、教会とか、聖書とかに縁がないと思っている人ほど
キリストに近いのです

キリストは「健康な人に医者はいらない。いるのは病人だ」と言われ
同様に自分はしっかりやっていけるという正しい人にとってではなく
私は駄目だと落ち込んでいる人のために来た」と言って
十字架で人類の罪を一身に引き受けて死に、三日の後に復活します

そのキリストの死が自分のための死であったと信じる者は
罪を赦され、永遠の命を与えられます
ですから、この十字架の死とくっつけてクリスマスを祝うのです

メリークリスマスはたんに「イエス様、お誕生日おめでとう」ではありません
キリスト教会では2000年間、
「イエス様、お誕生日おめでとうございます。十字架で私の罪のために
死んで下さってありがとうございます。」
と祝ってきたのです。

メリー・クリスマス


藤尾正人兄メッセージ






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