荒野の食卓、1月15日

2020-01-15 | 00:20

創世期 22-14

14-そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。

今日でも、「主の山の上には備えがある。」と言い伝えられている。


イサクが生涯でたった一度自分の心に問うた質問は、

「焼き尽くす捧げ物のための子羊はどこにいるのだろう」でした。

その解答は断固としたものでした。

「神が備えて下さる」これがイサクの典型的生き方でした。

すなわち、彼は嗣業を受け継ぐ者として、父から得た物をただ自由に受け又享受したのです。

彼は井戸を掘ることもしませんでした。彼がなすべきは父が掘った

それらの井戸を再度開くことでした。

又、彼は結婚についてもあれこれ主張する事はありませんでした。

ふわさしい女性について相談することもなく、又、彼女を探し出すこともありませんでした。

彼が葬られた墓ですら、すでに父によって買い取られていたのでした。

私たちもまたイサクのように、資産家の家に生まれたのです。

父なる神が私たちに備えて下さるものを私たちは受け取る事が出来るのです。

イサクの父である私たちの神は、

まさしく与えて下さる神ではないのでしょうか?

(ウォッチマン・ニー)




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