荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 1月19日

2020-01-20 | 00:20

こいうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
      (使徒行伝 26-19)

パウロの障害を通じての神への聖別と従順を可能としたものは
天からの光でした。従順はビジョンから生まれます。
自分を神に捧げる事は神にとって尊いものですが、
盲目的な服従では神に仕える事は出来ません。
私たちが改心した当初のときにある、誰にも指図されることもなく
神へと自分を捧げることと
神のご計画を明確に見ることによって、さらに自分を捧げていくこととの間には
違いがあると思います。
自分が救いに与った事だけを頼りとする者には神はあまり厳しい要求をされません
しかし、神がご自身の心を開かれ神がなされた事を私たちに見せられる時、
又、神が私たちに対して従順を求められ、
私たちがそれに新鮮にお応えするとき、神は私たちがさらに
明け渡し捧げることを強く求めておられるのです。
私たちが新しく得た理解を自分の言葉で請願するとき
神は私たちをその言葉の程度において獲得して下さるのです。
このようにして私たちは絶えず新しい領域へと進み行くのです。






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