荒野の食卓、ウォッチマン・ニー 1月22日

2020-01-23 | 00:20

ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう。
                                           II 列王記 6.15

 神が奇跡を行なわれるとき、私たちは自らの愚かさ加減を笑うべきです。
私たちが未だに思い煩い、思案し続けるならば、私たちは主の弟子でもなんでもありません。
悲しいことですが、多くの人々は神が自分たちのために
働いていてくださることを決して分かろうとしません。

なぜなら彼らはいつも道をはずれているからです-
-神が助けてくださらなくても、多分友だちが少しは助けてくれる、等と。
もっとも憐れむべきは、絶対的な危機にひんして、
なお脱出のための安易な道を見出だしてしまう人々です。

必要は奇跡の母です。逃げようとするために、別のものを見失います。
大きな困難は、もっぱら私たちが自分自身から離れて
主に信頼する者となるように備えられたものなのです。

前にも後ろにも道がない、
その時神はお出来になります。主にはご計画があります。
ですから不可能を恐れてはなりません。主には何でもないことです。
主の足元にひざまづき、主が行動を起こされるのを待ちなさい。
奇跡は先にあります。

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