荒野の食卓 ウオッチマン・ニー 2月2日

2020-02-03 | 00:20

私をおおいに祝福し、・・・・わざわいから遠ざけて私が
苦しむことのないようにしてくださいますように(歴代誌Ⅰ 4-10)

祝福の生活がキリスト者の正常な生活であるべきです。
祝福の流れを妨げるよ うなことが一つでもあってはなりません。

もし祝福が途絶えるならば、原因があ ります。

その説明を外的な要因に求めても見出だすことはできません。
あるとき 私はあるひとりのキリスト者の働き人を注意して見るようになりましたが、
彼は 別のもう一人とうまくいっていなかったのです。
自分は正しかったとする彼の主 張に私は耳を傾けましたところ、
実際彼の言っていること、してきたことは間違 っていませんでした。
しかし私はひそかに考えました。『兄弟。あなたは完全に 正しいかもしれない。
しかし私たちの正しさに主の祝福が欠けていたら、
いった いそれが何の役に立つというのでしょう』。
神の働きにおいて、神の祝福がなくなったときにすべての事は失敗します。
主 のみ心を知ろうという思いが与えらるなら、私たちの発する言葉、
すべての生活 様式には制限が設けられていることを知るべきです。
正しさは私たちの目標では ありません。
私たちの行動の判断基準は「正しいか、間違って いるか」ではなく、
常に「神の祝福がそこにあるか」だけなのです。

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