荒野の食卓 ウォッチマン・ニー 2月7日

2020-02-08 | 00:20

わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
   ヨハネ伝 14-27

平安ではなく、「わたしの平安」が問題なのです。
神は平安を与えて下さいましたが、そればかりでなく、
「神の平安」、すなわち神の深い静謐は私の心を守って下さいます。

物事がうまくいかない時、私たちは困難を感じます。
しかし、他の何かを悟りたいものです。
神はご自身で中心的になそうとされているご計画の舞台をして
この世界をお選びになりました。

主は明確なご目的を持っておられました。
そこへ、サタンが入ってきて邪魔をしましたが、
それにもかかわらず(私たちは聖書の言外の暗喩について何も悟っていません)
主は何も動じない深い平安を持ち続けられます。
主はそれが必要とされるならば、もう1000年お待ちになる事も辞されません。

 パウロは神の平安は私の心の砦であるべきであると言います。
それはどういう意味でしょう。それはつまり敵が私に届こうとするならば、
まず砦を突破しなければならないという意味なのです。
私の心が触れられる前に砦が打ち破られねばなりません。
ですから私はどうしたって神と同じように平安でいられます。
というのも神の平安━つまり神を守っている平安━が
私を守っているからです。

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