荒野の食卓 ウォッチマン・ニー 2月10日

2020-02-11 | 00:20

恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
                                        ヨハネ 1-17
 

  この声明はこの後のヨハネの福音書全体にとっての鍵となるものです。
まさしくその鍵によって、あなたは一方のまことと、もう一方の恵みが
等しく二重に強調されていることに気がつくでしょう。
まことはいつでも要求を喚起します。

そして恵みは要求に対抗するためにいつでもそこに存在します。
8章に記載された姦淫で捕らえられた婦人の記事で、
まことは外へと輝きを放っています。
主は婦人に「いいのです。あなたは罪を犯しませんでした」とはおっしゃいませんでした。
主はユダヤ人たちに、彼女がやったことはどうでもいいことで、
私自身たいして気にもしていない、とも言いだしませんでした。断じて。

主のことばはこうでした。
「あなたがたのうちで、罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」。
まことはそこに存在します。彼女はほんとうに罪を犯したのであり、
律法によれば石打ちにされなければいけないのです。
しかしそこにまた恵みが存在します。
みなが離れていった後で、主は彼女に身を起こして言われました。
「わたしもあなたを罪に定めない」。
ヨハネの福音書全体を通してまことは常にこのようにして
恵みに融和させられていることが発見できることでしょう。

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